Salaam-e-Ishq

3.5

 インドでは、大作映画、傑作映画の封切日に選ばれやすい時期というのがいくつかある。ディーワーリーの時期がその最たる例だが、それを除けば、8月15日の独立記念日と1月26日の共和国記念日のあたりが最も人気の高い封切日である。2007年の共和国記念日に公開されたのは、「Kal Ho Naa Ho」(2003年)で監督デビューしたニキル・アードヴァーニー監督の「Salaam-e-Ishq(愛の挨拶)」である。6組のカップルの愛のストーリーをひとつの映画に詰め込むという難しい脚本に挑戦した作品である。もちろん、堂々のオールスターキャストだ。

監督:ニキル・アードヴァーニー
制作:ムケーシュ・タルレージャー、スニール・マンチャンダー
音楽:シャンカル・エヘサーン・ロイ
歌詞:サミール
振付:ボスコ・シーザー
出演:ジョン・アブラハム、ヴィディヤー・バーラン、サルマーン・カーン、プリヤンカー・チョープラー、ゴーヴィンダー、シャノン、ソハイル・カーン、イーシャー・コッピカル、アニル・カプール、ジューヒー・チャーウラー、アクシャイ・カンナー、アーイシャー・ターキヤーなど
備考:PVRプリヤーで鑑賞。

 ニュース編集者のアーシュトーシュ・ライナー(ジョン・アブラハム)とレポーターのテヘズィーブ(ヴィディヤー・バーラン)は、宗教の壁を越え、親の反対を押し切って恋愛結婚をした。結婚してから2年が過ぎ、二人は幸せに暮らしていたが、ある日テヘズィーブは列車事故に遭ってアーシュトーシュと過ごした時間の記憶を全く失ってしまう。アーシュトーシュはテヘズィーブの記憶を何とか取り戻そうと努力する。

 カーミニー(プリヤンカー・チョープラー)は有名なアイテムガールだが、悲劇女優への転向を夢見ており、大物監督カラン・ジョーハルからの電話がかかって来るのを心待ちにしていた。しかし、スキャンダルまみれのままではいつまでも夢が実現しないことを悟った彼女は、一大茶番劇を始める。彼女は突然、「ラーフル」という名の幼馴染みのボーイフレンドがいると明かす。実は純愛派であることを世間に示す作戦であった。ところが、ショーのためロンドンへ旅立つ日、突然空港にラーフルを名乗る男(サルマーン・カーン)が現れる。世間体を保つため、ジャーナリストたちの前ではラーフルと仲睦まじい演技をするカーミニーであったが、ロンドンに着いた途端、怒り出す。だが、ラーフルは商談を切り出す。カーミニーのボーイフレンドになりすまして彼女の茶番劇を成功させる代わりに1千万ルピーを報酬として受け取ると言うのだ。カーミニーのマネージャーもそれに同意する。こうしてラーフルとカーミニーの茶番劇が始まった。

 デリー在住のタクシー運転手ラージュー(ゴーヴィンダー)は、いつの日か運命の人が現れることを夢見て、空港の前で客待ちをしていた。ある日、彼の前にステファニー(シャノン)という白人女性が現れ、「タージ」と告げる。これこそ運命の人と直感したラージューは彼女をアーグラーのタージマハルまで連れて行くが、彼女はデリーのタージマハル・ホテルへ行こうとしていたのだった。ステファニーがインドに来た目的は、結婚を約束した恋人ローヒト・チャッダーを探すためであった。ラージューは偶然ローヒトを乗せたことがあったため、彼を探すのを手伝う。英語が話せないラージューと、ヒンディー語が話せないステファニーは、時々意志の疎通に困るが、次第に二人は心を通わせていく。ラージューはローヒトを求めて、デリーからウダイプル、ウダイプルからリシケーシュへとタクシーを走らせる。だが、ステファニーはリシケーシュでローヒトの結婚が決まったことを知らされる。結婚式はデリーであった。ラージューは彼女を励まし、デリーへタクシーを直行させる。

 ラームダヤール(ソハイル・カーン)とプールワティー(イーシャー・コッピカル)は結婚したばかりであった。だが、初夜から彼らの「性生活」はトラブル続きで、なかなか成功できなかった。まずは家を燃やしてしまい、次は子供たちに邪魔され、挙句の果てに車の中でいちゃついていたらサイドブレーキが外れてしまい、そのまま崖に落ちて大怪我を負ってしまった。

 シヴェーン・ドゥンガープル(アクシャイ・カンナー)とジヤー・バクシー(アーイシャー・ターキヤー)は婚約を済ませ、もうすぐ結婚しようとしていた。ところがシヴェーンは結婚に恐怖を抱き始め、何とか破談にしようとあれこれ作戦を考え出す。それは裏目に出て、結局結婚をすることになってしまうが、結婚式の当日にジヤーに彼が結婚したくないと思っていることがばれてしまい、本当に結婚は破談になってしまう。だが、その後もシヴェーンの心は晴れず、絶えず彼女のことを考え続けるのであった。一方、ジヤーは米国からやって来たNRI、ローヒトとの結婚を決める。彼はステファニーのボーイフレンドであった。それを知ったシヴェーンはさらに自暴自棄になる。

 ヴィナイ・マロートラー(アニル・カプール)はロンドン在住のイベント業者で、カーミニーのショーを企画していた。妻のスィーマー(ジューヒー・チャーウラー)は、ジヤーの姉であった。彼女は完璧な妻かつ母親で、ヴィナイは何の不自由もない生活であったが、彼は自分の人生に退屈を感じるようになっていた。ある日、ヴィナイは電車の中で魅力的な女性アンジャリーと出会い、それ以来彼女のことが頭から離れなくなる。ヴィナイは、アンジャリーが忘れて行った日記を届けに彼女の主催するダンス教室へ足を運び、そのときからそれは恋に変わってしまう。だが、二人の仲はスィーマーに知られてしまう。スィーマーは、ジヤーの結婚式に出席することを口実に、2人の子供を連れてデリーへ去って行ってしまう。

 ラーフルはカーミニーにプロポーズし、二人の結婚は紙面を大いに騒がせる。ラーフルのプランでは、結婚の直前にラーフルは交通事故で死に、カーミニーは悲劇のヒロインとしての地位を獲得することになっていた。だが、カーミニーは次第にラーフルを愛するようになり、その結末に疑問を抱き始める。だが、計画は思った以上にうまく進み、彼女のもとにはカラン・ジャウハルからオファーの電話も来た。カーミニーは思わずそれを受け容れてしまうが、それはラーフルとの決別を意味していた。その夜、カーミニーはバーでヴィナイと出会う。ヴィナイも妻に置いて行かれ、困惑していた。二人は話し合う中で、トラブルの原因となったものに対して、「自分のものだったものを敢えて失って得るようなものだったのか」と問い掛け合い、何が大事なのかを悟る。カーミニーはラーフルのもとへ走り、ヴィナイはスィーマーのもとへ走る。だが、ヴィナイはデリー行きの空港に乗り込んでいたスィーマーを捕まえることができたが、ラーフルは既に交通事故で死んだことになっており、どこかへ消え去ってしまっていた。だが、カーミニーの心を知るマネージャーは彼の居場所を抑えていた。カーミニーは、デリーに立ち去ったラーフルを追いかける。

 テヘズィーブは、あれこれ記憶を思い起こそうと躍起になるアーシュトーシュにとうとう耐え切れなくなって逃げ出してしまう。アーシュトーシュは張り紙を用意して彼女を探す。テヘズィーブはあちこちさまよう内に、偶然通り掛ったシヴェーンの車にぶつかってしまう。シヴェーンは、行方不明の張り紙を見てアーシュトーシュに連絡をする。アーシュトーシュはテヘズィーブに、もう二度と無理に記憶を思い出させたりしないことを約束すると共に、これから新しく思い出を作って行こうと提案する。それを見ていたシヴェーンは、愛の力を感じ、ジヤーのもとへ走る。

 ローヒトとジヤーの結婚式が行われていた。会場には仲直りしたヴィナイとスィーマーの夫婦の姿もあった。結婚式場のオーナーは、ラーフルであった。まずはそこへラージューとステファニーが駆けつける。ローヒトはステファニーに「なぜ来たんだ。ここから立ち去れ」と冷たい言葉を投げ掛ける。ステファニーは涙を流し、何も言うことができない。そこへラージューが出て行って、ステファニーに「好きなら好きとどうして言えないんだ!」と叫ぶ。すると、ラージューが自分のことを好きであることに気付いていたステファニーはラージューに向かって、「あなただって言えてないじゃない!」と言う。ラージューは勇気を振り絞り、ステファニーに「I Love You」と伝える。

 次にやって来たのはシヴェーンであった。彼はジヤーに改めて結婚を申し込む。心の底ではシヴェーンのその言葉を待ち望んでいたジヤーは、それを喜んで受け容れる。

 最後に会場にはカーミニーが登場する。カーミニーはラーフルの前でひざまずき、プロポーズをする。そこへカラン・ジャウハルから電話がかかって来るが、彼女は「間違い電話よ」と言って切る。ラーフルも彼女のプロポーズを受け容れる。

 6つのストーリーの比重は決して均等ではなく、中には不必要に思われるものもあった。6つのストーリーをひとつの映画に詰め込むということは、逆に言えばひとつの映画を6つに分割してしまうことでもあり、それぞれのストーリーが薄っぺらくなってしまうことはどうしても避けられない。だが、それでもそれらをお互いに関連付けさせて、難しい脚本を何とかうまくまとめられていたと思う。見終わった後は満腹感があった。マサーラームービーの名に恥じない、各種ラサ(情感)がうまく調合された佳作映画と言える。

 6つのストーリーの中で個人的に最も優れていたと思ったのは、ラーフルとカーミニーの物語であった。アイテムガールから悲劇女優への転向を夢見るカーミニーは、マッリカー・シェーラーワトをモデルにしているのはほぼ明らかであろう。プリヤンカー・チョープラーはそのタカビーなスキャンダル女優を、水を得た魚のように演じていた。ラーフルの登場とその後の展開は非現実的であったが、二人の間の感情のやり取りはリアルであった。ラーフルは終盤、カーミニーに「自分を取るか、仕事を取るか」の二者択一を迫り、彼女はつい仕事の方を取ってしまう。それを聞いたラーフルはカーミニーのもとを立ち去ろうとする。ラーフルのことを愛してしまっていたカーミニーは一筋の涙を流す。そのとき、ラーフルは彼女に一言声を掛ける。「嬉し涙に乾杯(クシー・カ・アーンスー・ムバーラク・ホー)」この映画の中で最高の名ゼリフであろう。

 シヴェーンとジヤーのストーリーは、「Maine Pyaar Kyun Kiya」(2005年)などで大いに題材にされた「男のマリッジブルー」の焼き直しであったが、シヴェーン役を演じたアクシャイ・カンナーの演技が素晴らしく、印象的であった。アクシャイ・カンナーの演技力と存在感は、前髪の後退と反比例してここのところ急速に増して来ていたが、「Salaam-e-Ishq」に来て大成したと言っていい。サイフ・アリー・カーンに続いてブレイクしそうな前世代俳優である。

 ジョン・アブラハムとヴィディヤー・バーランが共演したアーシュトーシュとテヘズィーブのストーリーは、ジョンの恋人ビパーシャー・バスのヴィディヤーに対する嫉妬が報じられたりして、ゴシップのネタとしては一番面白い。微妙に際どい絡みのシーンもあった。だが、脚本的にはパワーに欠けた。シヴェーンとジヤーのストーリーの伏線程度であった。次期大女優の期待がかかるヴィディヤー・バーランの演技は精細に欠けていたように感じた。彼女は「Parineeta」(2005年)でいきなり最高峰の演技力を見せ、「Lage Raho Munna Bhai」(2006年)でも別の魅力を披露したが、「Guru」(2006年)、「Salaam-e-Ishq」と多少停滞が続いている。もう一本くらい傑作が欲しいところだ。ジョンは終始落ち着きのない演技。まるで犬のようだった。それが母性本能をくすぐるのだろうか?

 ヴィナイとスィーマーのストーリーもやはりラーフルとカーミニーのストーリーの伏線の性格が強く、アピールに欠けた。ヴィナイ役を演じたアニル・カプールは所々で渋い演技を見せていたが、スィーマー役のジューヒー・チャーウラーは全然駄目だ。声と目が可愛すぎるので、彼女にはシリアスな役が向かない。

 ラージューとステファニーのストーリーは、あまりあってはならないことではあるのだが、普通にいい話であった。これを見たタクシー運転手たちが余計な期待を抱くようになると、外国人観光客には大きな迷惑であろう。ゴーヴィンダーが少しだけダンスを披露するのだが、やっぱり彼の踊りは素晴らしい。リティク・ローシャンとは全くベクトルの異なるうまさである。ステファニー役の白人女優シャノンは、今までインド映画に出演してきた外国人俳優の中ではいろいろな意味で最低レベルであるが、そこまで突っ込むのは大人気ないだろう。

 最も弱かったのはラームダヤールとプールワティーのストーリーだ。これは全ての観客の一致した意見であろう。だが、なぜか最も受けていたのも彼らのストーリーであった。特にラームダヤールが時々鳴らす口笛が観客に大受けであった。映画の完成度を高めるためには彼らのストーリーは必要なかったが、映画に息抜き的な笑いを添えるのには役に立っていた。

 音楽はシャンカル・エヘサーン・ロイ。このトリオが作るサントラはどれも外れがないのだが、「Salaam-e-Ishq」もその例に漏れず、耳障りのいいアルバムに仕上がっている。アドナーン・サーミーが歌う「Dil Kya Kare」、バグパイプ風のイントロで始まるタイトル曲の「Salaam-e-Ishq」、カイラーシュ・ケールの歌う「Ya Rabba」などが優れている。各ストーリーはそれぞれ微妙にリンクしていたのだが、ミュージカルシーンで各ストーリーの主人公の心情が共有され、さらにリンクが強くなっていた。そして豪華絢爛なダンスが音楽をさらに盛り上げていた。ちなみに、アンジャリーが踊る「Babuji」は、「Aar Paar」(1954年)でギーター・ダットが歌った歌のリメイクである。他に「Dil Apna Aur Preet Parai」(1960年)の「Ajeeb Dastan Hai Yeh」も口ずさまれる。

 舞台は基本的にデリー、ムンバイー、ロンドンの3ヶ所で、実際にロケもそれらの場所で行われた。だが、ロンドン以外はそれぞれの街の特徴を映像で表現できておらず、スクリーン上で展開しているストーリーがどこの場所のことなのか、一瞬分からなくなることがあった。また、ラージューとステファニーのストーリーではウダイプルとリシケーシュにも行った。リシケーシュのランドマークは出て来たが、ウダイプルの有名なレイクパレスなどが登場せず、ウダイプルではロケが行われていないと感じた。

 ニキル・アードヴァーニー監督はカラン・ジャウハルの弟子であり、映画中にも師匠へのオマージュが所々で感じられた。カラン・ジョーハルの電話を待つカーミニーはその最たるものであるし、映画中にはジョーハル監督の「Kabhi Khushi Kabhie Gham」(2001年)の音楽が使われたり、「Kal Ho Naa Ho」という言葉がダイアログに出て来たりしていた(「Kal Ho Naa Ho」のプロデューサー・脚本はカラン・ジョーハル)。だが、度を過ぎたカラン・ジョーハルの神格化は鼻についた。ちなみにカラン・ジョーハルが声のみ出演している。

 総じて、「Salaam-e-Ishq」は、インド映画の特徴が揃ったいい映画だと言える。だが、不幸なのはニキル・アードヴァーニー監督の前作「Kal Ho Naa Ho」との比較を余儀なくされることだ。そしてその比較において、どうしても力不足だと言わざるをえない。6つのストーリーのオムニバスであるため、上映時間も3時間半と、インド映画標準から見ても長めである。焦点を絞って、もう少しスマートな映画にすることもできただろう。だが、同じようなコンセプトの「Darna Mana Hai」(2003年)などに比べたら完成度は遥かに高い。全てのストーリーがそれぞれハッピーエンドになっていたのもインド映画ならではで、好感が持てた(他の国でこのような映画を作ったら、きっとアンハッピーエンドのストーリーも含まれていたことであろう)。観て損はない映画である。