Omkara

4.5

 昨日、日本での3週間の一時帰国を終え、デリーに戻って来た。一時帰国中に何よりも気がかりなのは、インド映画の公開状況である。僕がインドにいない3週間の間に、けっこうな数の映画が公開されてしまった。しかも、今日は2006年最大の期待作「Kabhi Alvida Naa Kehna」の公開日である。もたもたしている暇はない。今日は所用を済ませ、早速映画館へバイクを走らせた。「Kabhi Alvida Naa Kehna」の本日のチケットは入手することが叶わなかったが、名作と話題の「Omkara」をちょうど観ることができた。2006年7月28日公開の映画である。

 「Omkara」とは、ヒンドゥー教の聖印「オーム」の印のことだが、作品中では主人公の名前となっている。監督と音楽はヴィシャール・バールドワージ。彼は音楽監督出身の映画監督である。バールドワージ監督は2003年にシェークスピアの「マクベス」を翻案した「Maqbool」という映画を制作し、高い評価を得た。それに気をよくしたのか、この「Omkara」は、今度は同じくシェークスピアの「オセロ」をベースとした映画である。

 キャストは、アジャイ・デーヴガン、カリーナー・カプール、サイフ・アリー・カーン、コーンコナー・セーンシャルマー、ヴィヴェーク・オーベローイ、ビパーシャー・バス、ナスィールッディーン・シャーなどである。

 舞台はウッタル・プラデーシュ州。バーイーサーブ(ナスィールッディーン・シャー)と呼ばれる老練な政治家と強いつながりを持ったオーミー・シュクラー(アジャイ・デーヴガン)は、辺りを支配するギャングのボスであった。オーミーの下には、ラングラー・ティヤーギー(サイフ・アリー・カーン)、ケーシュー・ウパーディヤーイ(ヴィヴェーク・オーベローイ)などの部下がいた。

 オーミーは、弁護士の娘ドリー(カリーナー・カプール)と恋仲だったが、ドリーはラージューという男と結婚させられることになった。オーミーは結婚式においてドリーを誘拐する。弁護士とオーミーの間に火花が散るが、バーイーサーブの仲介により、ドリーはオーミーと結婚することになった。弁護士はオーミーに対し、「父親を裏切るような女が、夫に尽くすはずがない」と言い残して去って行く。

 一方、刑務所で豪華な生活を送っていたバーイーサーブは、下院選挙に出馬することになった。それをきっかけとして、オーミーは副官にケーシューを任命する。オーミーから信頼されていると確信していたラングラーは、自分を差し置いてケーシューが出世したことに内心ショックを受けながらも、表向きはオーミーの命令に従う。

 オーミーにドリーを取られたラージューと、ケーシューに出し抜かれたラングラー。負け犬の二人はやがて、共謀してオーミーを見返すことを計画し出す。まずは酒に弱いケーシューに酒を無理に飲ませ、失態を犯させる。そして、徐々にオーミーに、ケーシューとドリーが実はできているのではないかという疑いを植え付ける。また、ラングラーは、オーミーが妻ドリーに送った家宝の腰飾りを、自分の妻のインドゥー(コーンコナー・セーンシャルマー)に盗ませ、それをケーシューに渡す。ケーシューは、恋人のビッロー(ビパーシャー・バス)にその腰飾りを送る。オーミーは、腰飾りがなくなっていることに気付き、ドリーに対して疑心暗鬼を強めた。

 オーミーとドリーの結婚式の日。オーミーはビッローが、自分がドリーにあげた腰飾りを持っているのを見る。ケーシューとドリーが密通していることに確信を持ったオーミーは、ラングラーに対しケーシューを殺すよう指示をする。ラングラーはケーシューを銃で撃つ。そしてオーミーはドリーを自分の手で殺す。

 だが、オーミーはインドゥーから、腰飾りを盗んだのは自分であり、それをけしかけたのはラングラーであることを聞いてしまう。インドゥーも初めて夫の企みに気付き、自らラングラーを殺してしまう。また、ケーシューは銃で撃たれながらも生きており、オーミーのところへ行くが、オーミーはケーシューの前で自殺をしてしまう。

 「Maqbool」でも本作でもそうだが、ヴィシャール・バールドワージ監督の最も巧みな点は、今まで何度も何度も映画化されて来たシェークスピアの作品を、完全なるインドの文脈に置き換えて映画にしていることだ。人間の疑心と嫉妬を描いた「Omkara」のプロットは「オセロ」そのものかもしれないが、それを除けばこれほどインドの土着の政治、社会、言語、自然に肉薄した映画は、通常のインド映画でもなかなかない。最も近いのは、プラカーシュ・ジャー監督の「Apaharan」(2005年)であろう。

 「Omkara」の舞台はウッタル・プラデーシュ州。ラクナウー大学(ウッタル・プラデーシュ州)、イラーハーバード(同)、ボード・ガヤー(ビハール州)、ローナーヴァラー(マハーラーシュトラ州)、マハーバレーシュワル(同)、ムンバイー(同)などでロケが行われたようだが、大半はマハーラーシュトラ州のワーイーで行われたらしい。確かに北インドっぽくない自然の風景がいくつか見受けられた。だが、登場人物のしゃべる言語はウッタル・プラデーシュ州がベースとなっており、北インドの雰囲気を聴覚の方面から醸し出している(ハリヤーナー方言との説もあり)。スラングもかなり多用されている。どうもこの映画は、インド映画で初めて、際どい罵詈雑言がカットされずに一般公開されることになった映画であるらしい。映画は正に汚ない罵詈雑言のオンパレード。何しろ冒頭の最初のセリフから、これまでのインド映画では決して登場しなかった「チューティヤー」という単語が入っているのだ(敢えて日本語に直訳すれば・・・「おま○こ野郎」、か。かなり危険度の高い言葉なのでインド人の前での使用は自己責任で)。逆に言えば、この映画の言語は教科書で習うような正統派のヒンディー語ではないため、ヒンディー語がある程度理解できても、よっぽど田舎や下層のインド人と接していなければ、登場人物のセリフを理解するのは困難であろう(僕も多くのセリフはチンプンカンプンであった・・・)。インド人の観客ですら、どうも聴き取れないセリフ、意味の分からないセリフがあったようで、近くの人に「何て言った?」と質問する声がそこかしこで聞こえた。だが、この土臭くも洒落たセリフ回しこそが、この映画の最大の魅力であり、さらに突き詰めれば、ヒンディー語の最大の魅力とも言うことができるだろう。

 映像も素晴らしかった。ハッと息を呑むような美しい自然を非常に独創的なアングルで撮影したり、映像が何かを暗示するようなシーンがいくつもあったりして、映画の醍醐味を味あわせてくれる映画でもあった。特に最後、ドリーの遺体が横たわる揺れるブランコと、自殺してその下に倒れたオーミーを重ね合わせて上から撮るシーンは強烈であった。セリフ回しも重要であるが、やはり映像でものを語れない映画は、映画として重大な部分が欠落していると言わざるをえない。「Omkara」は、セリフと映像、この両方の要素を極限にまで磨き上げた稀な作品と言える。

 アジャイ・デーヴガン、サイフ・アリー・カーン、カリーナー・カプールを始めとする俳優たちの演技も素晴らしかった。特に今回、株を上げたのはサイフ・アリー・カーンであろう。役のために頭髪をそり落とすほど気合が入っていただけでなく、策謀を巡らせる狡猾なラングラーを見事な演技で演じ抜いていた。「Being Cyrus」(2006年)でも好演を見せていたサイフ・アリー・カーンは、ここ数年で急速にヒンディー語映画界の最重要男優にのし上がったと言ってよいだろう。

 アジャイ・デーヴガンは、彼が最も得意とする無口で強面な男の役を演じていた。彼のイメージにピッタリであったので、文句を挟む隙間もない。カリーナー・カプールも、彼女が一番本領を発揮できる悲壮感溢れるヒロインの役を演じていた。コーンコナー・セーンシャルマーもはまり役であった。最近の彼女はモダンな女性の役を演じることが多かったが、彼女の顔は完全に田舎娘向けであり、今回のような田舎丸出しの役柄は非常にはまっていた。ナスィールッディーン・シャーの圧倒的な存在感も忘れてはならないだろう。

 残念なのはヴィヴェーク・オーベローイである。最近伸び悩んでいるヴィヴェークは、「Omkara」でも何だかミスマッチな演技をしていた。彼は、シリアスな演技をさせてもコミカルな演技をさせても何だか中途半端になってしまう非常に使いにくい男優のような気がする。いつまで迷走が続くのだろうか?一方、ビパーシャー・バスは特別出演とされていたが、特別出演以上の役割は果たしていたと思う。セックスシンボルのイメージの強いビパーシャーは、何だかんだ言ってもやっぱり売春婦、踊り子、悪女のようなちょっと汚れた役が一番似合う。

 「Maqbool」では主人公の名前マクブールが、シェークスピア原作の主人公マクベスを想起させるものであったが、「Omkara」ではさらにその傾向が加速され、登場人物の名前の頭文字や音が、原作の名前と似たものとなっている。オセロ→オーミー(オームカーラー)、カシオ→ケーシュー(ケーシャヴ)、デズデモーナ→ドリー、ビアンカ→ビッローなどである。また、原作ではハンカチが重要なアイテムとなっていたが、「Omkara」ではそれが腰飾りで代替されていた。ストーリー上、原作と大きく違ったのは最後のシーン。原作では、イアーゴ(ラングラー)が妻エミリア(インドゥー)を殺害するが、「Omkara」ではインドゥーが夫ラングラーを殺害する。インドゥーがラングラーを殺害するシーンはちょっと唐突であったが、これは悪役の哀れな最期を強調するための変更だと受け止めることができるのではなかろうか。

 「Omkara」には多くの挿入歌・ダンスシーンがあり、サントラCD・カセットも売れているようだが、映画はどちらかというと踊りなしにした方がよかったのではないかと思う。それでもいくつかの曲――タイトル曲「Omkara」、映画中、2度登場して印象的な使われ方をする子守唄風「Jag Ja」など――はいい曲である。

 「Omkara」は、インド版シェークスピア映画として非常に見る価値のある映画である。セリフに使われる単語やフレーズはかなり下品で聴き取りが難しいものが多いが、北インドの田舎の人々が実際に使うような生き生きとした会話がそのまま再現されており、やはり一見の価値がある。