Krrish

4.5
Krrish
「Krrish」

 ヒンディー語映画界にとって2006年はかつてないほどの豊作の年で、上半期だけでも既に数々のヒット作が生まれている。「Rang De Basanti」、「Aksar」、「Taxi No. 9211」、「Malamaal Weekly」、「Gangster」、「36 China Town」、「Fanaa」、「Phir Hera Pheri」などである。その好調な上半期のトリを飾る超期待作「Krrish」が2006年6月23日に公開された。公開と同時に記録的な興行成績を記録しているようで、やっと観ることができた。

 「Krrish」はいくつかの点でヒンディー語映画史のランドマーク的映画である。まず、2003年の大ヒット作「Koi… Mil Gaya」の続編である点。「Phir Hera Pheri」の映画評でも少し触れたが、インド映画で続編が作られることは今まであまりなかった。ハリウッドのように、前作よりも明らかにパワーダウンした続編映画ばかりが連発されるようになるのは避けてもらいたいが、結論から先に言うと、「Phir Hera Pheri」も、この「Krrish」も、前作に勝るとも劣らない作品に仕上がっており、今のところ安心して見ていられる。ちなみに、「Phir Hera Pheri」は前作を見た方が楽しめる映画であるが、「Krrish」は、前作のストーリーが映画中でうまく説明されているため、それほど前作の予習を必要としなかった。

 そして、「Krrish」は、インド初のスーパーヒーロー映画という点でも特筆すべきである。インド映画の主人公は、一人で複数の悪党をなぎ倒したり、銃弾をひらりとかわしたり、ビルの屋上から飛び降りても死ななかったりと、元々スーパーパワーを持っているのだが、スーパーマン、バットマン、スパイダーマンのような、コスチューム物のスーパーヒーローは今までいなかったと言っていいだろう。先日公開された「Alag」も一応スーパーパワーを持った青年を主人公にした映画であったし、5月に公開された、タミル語映画「Anniyan」(2005年)のヒンディー語吹き替え版「Aparichit」もその線の映画であったが、コスチューム物のスーパーヒーロー映画なら、この「Krrish」がインド初ということになるだろう。

 スーパーヒーロー映画には特撮アクションが欠かせない。「Krrish」は、おそらくインド映画史上最も特撮アクションに力を入れた映画に仕上がっている。これも大きな特徴だ。「Krrish」の特撮は、「インディペンデンスデー」(1996年)、「ゴジラ」(1998年)などのハリウッド映画や、「Koi… Mil Gaya」の特撮も担当した米国人特撮技師クライグ・ムンマとマーク・コルベによる。何らかの特撮が使われたシーンは合計90分に及び、インド映画史上最長だという。また、アクションは「少林サッカー」(2001年)、「英雄」(2002年)、「LOVERS」(2004年)などでアクション監督を務めた、「ワイヤーアクションの第一人者」と呼ばれる香港人監督、程小東(チン・シウトン)。よって、インド映画最高レベルのワイヤー&カンフーアクションも「Krrish」の大きな見所となっている。

 「Krrish」は「Koi… Mil Gaya」と同じく、ローシャン一族のホームプロダクション的映画となっている。監督はラーケーシュ・ローシャン、音楽はその弟のラージェーシュ・ローシャン。キャストは、ラーケーシュの息子のリティク・ローシャン、プリヤンカー・チョープラー、ナスィールッディーン・シャー、レーカー、シャラト・サクセーナー、ヘーマント・パーンデーイ、プニート・イッサル、アルチャナー・プーラン・スィン、マーニニー・ミシュラー、ギン・シア(Gin Xia)。プリーティ・ズィンターが一瞬だけ特別出演。

 宇宙人ジャードゥーからスーパーパワーを授かったローヒト(リティク・ローシャン)は、恋人のニシャー(プリーティ・ズィンター)と結婚した。未来を読むコンピューターの開発を夢見る野心的科学者スィッダールト・アーリヤ(ナスィールッディーン・シャー)は、ローヒトのずば抜けた才能に目を付け、コンピューター開発チーフとして雇う。ローヒトは2年の歳月をかけてコンピューターを完成させたが、そのコンピューターによって自分がアーリヤに殺されること、またアーリヤがこのコンピューターを利用して世界征服を目論んでいることを知り、コンピューターを破壊する。そしてローヒトは殺されてしまう。

 一方、ニシャーはローヒトの子供を身篭っており、ローヒトの死と時を同じくして男の子を産んだ。その男の子の名前はクリシュナと名付けられた。だが、ニシャーはローヒトを失った悲しみに耐えることができずに死んでしまう。クリシュナは、ウッタラーンチャル州カサウリーに住むローヒトの母ソニア(レーカー)によって育てられる。

 クリシュナが5歳になった頃、ソニアや学校の校長は、クリシュナにもローヒトと同じようなスーパーパワーが備わっていることに気付く。スーパーパワーのせいでローヒトを失ったと考えていたソニアは、クリシュナにも同じ災いが降りかかることを恐れ、山奥に引っ越す。クリシュナは、母親から絶対にスーパーパワーを人前で使ってはいけないと言いつけられながらも、内緒でそれを使って遊びながら、父親に瓜二つの純朴な若者(リティク・ローシャン)に育つ。

 クリシュナはある日、仲間と山奥にキャンプに来ていたシンガポール在住インド人、プリヤー(プリヤンカー・チョープラー)と出会う。クリシュナは少しスーパーパワーをみんなに見せてしまうが、プリヤーたちはクリシュナと仲良くなる。やがてクリシュナはプリヤーに恋してしまう。プリヤーの親友ハニー(マーニニー・ミシュラー)は、クリシュナがプリヤーに恋してしまったことを感じ取り、それを彼女に言うが、プリヤーにはそういうつもりはなかった。プリヤーたちはキャンプを終え、シンガポールに帰る。

 プリヤーとハニーはマスコミに勤めていた。シンガポールに帰ったプリヤーとハニーだったが、15日の休暇を勝手に20日に延長してしまっており、ボス(アルチャナー・プーラン・スィン)からクビを言い渡される。だが、機転を利かせたハニーは、猿のように木を登り、馬よりも速く走るクリシュナのことを話してボスの気を引き、何とかクビを免れる。ただし、おかげでクリシュナを何とかしてシンガポールに呼ばなくてはならなくなってしまった。

 そこでハニーは、プリヤーに電話をさせて、クリシュナをシンガポールに呼び寄せることにする。プリヤーからの電話を受け取ったクリシュナは、早くプリヤーの母親に会わないと他の男と結婚させられてしまうと聞き、すぐにでもシンガポールへ行くことを約束する。だが、ソニアはクリシュナを行かせようとしなかった。自分をいつまでも山奥に閉じ込めておこうとするソニアの意図を理解できないクリシュナは怒るが、ソニアは彼に初めて、ローヒトとニシャーの話をする。それでも翌日、ソニアはクリシュナがシンガポールへ行くことを許す。

 シンガポールに着いたクリシュナは、早速プリヤーの母親に会おうとするが、プリヤーとハニーは、母親は香港へ行ってしまったと嘘をつき、何とかクリシュナをシンガポールに滞在させることに成功する。2人はクリシュナのスーパーパワーをビデオに収めようとするが、人前でのスーパーパワーの使用を禁じられていたクリシュナは、普通の人を演じる。おかげでプリヤーとハニーはボスから完全にクビにされてしまう。

 一方、クリシュナはシンガポール人武道家クリスチャン(ギン・シア)と友達になる。クリスチャンは、足の悪い妹のためにストリート・パフォーマンスを行ったり、サーカスで働いたりして金を稼いでいた。クリスチャンは、クリシュナをサーカスに誘う。プリヤーとサーカスを見に行ったクリシュナであったが、サーカスのテントが火事になってしまう。その衝撃でプリヤーは意識を失ってしまい、テントの中には数人の人が取り残されていた。その人々を救おうとするクリシュナであったが、スーパーパワーを人前で使うことは禁じられた。ふと、近くに落ちていたマスクが目に留まる。クリシュナはそのマスクを顔に付け、果敢に燃え盛るテントに飛び込んで、人々を救出する。その活躍は翌日の新聞やTVで大々的に報道され、目撃者の証言からニューヒーローは「クリシュ」と名付けられる。救出された子供は、クリシュのマスクのカケラを持っていた。そのカケラが一致するマスクを持参して自分がクリシュだと名乗り出た者には、人々を救出した功績により賞金が与えられることになった。

 プリヤーとハニーは、最初はクリシュナこそがクリシュなのではないかと疑うが、クリシュナは相変わらずスーパーパワーを見せようとしないので、遂にはその疑いを解く。だが、クリシュナは、プリヤーにプレゼントした指輪を盗んだチンピラたちをクリシュになって懲らしめた後、マスクを外したところを、たまたま通りすがったクリスチャンにそれを見られてしまう。クリシュナはクリスチャンにクリシュのマスクを渡し、クリシュになって賞金を受け取るように言う。こうしてクリスチャンがクリシュとなってマスコミに登場し、一躍時の人となる。

 また、プリヤーも次第にクリシュナのことを愛するようになっていた。プリヤーは、常に携帯していたハンディカムを家で再生していたところ、サーカスの火事のシーンが録画されていることに気付く。無意識の内に録画していたのだった。その映像には、クリシュナがクリシュのマスクを付けるシーンがはっきりと映し出されていた。遂にプリヤーとハニーはスクープ映像を手にしたのだった!

 だが、クリシュナはたまたまプリヤーの母親と電話で話してしまい、プリヤーが嘘をついて自分をシンガポールに呼び寄せたことを知ってしまう。また、TV局でプリヤーとハニーが、クリシュナがクリシュになる映像を嬉しそうに編集しているところも見てしまう。失望したクリシュナは、荷物をまとめて故郷へ帰ることに決める。クリシュナは必死に引き留めるプリヤーを振り払って空港に向かう。

 ところが、プリヤーは偶然重要な人物と巡り会う。スィッダールト・アーリヤの右腕、ヴィクラム・スィナー(シャラト・サクセーナー)であった。ヴィクラムはローヒトの部下として未来予知コンピューターの開発に携わった人物であり、ローヒトの息子クリシュナを探していた。プリヤーとヴィクラムは、空港でクリシュナを呼び止める。そしてヴィクラムは衝撃的事実を口にする――ローヒトはまだ生きている!

 ローヒトが開発したコンピューターは、ローヒトの網膜と心臓の鼓動パターンがパスワードになっていた。コンピューターの開発を諦めていなかったアーリヤは、そのためにローヒトを殺さずに廃人状態にして生かしておくと同時に、世間にはローヒトは死んだと伝えていたのだった。ローヒトはシンガポールにあるアーリヤの要塞に幽閉されていた。あれから20年間、アーリヤはローヒトが残した研究ノートをもとにコンピューターを再開発させ、遂に完成させていた。もしコンピューターが起動すれば、ローヒトは用無しとなって殺されてしまうことは確実であり、そのコンピューターを悪用してアーリヤが世界を支配することも明らかであった。クリシュナは、何としてでもそれを止めることを決意する。

 だが、アーリヤは既にコンピューターを起動させてしまっていた。そのコンピューターにより、自分がクリシュに殺されることを知ったアーリヤは、予めクリシュを殺して未来を変えようとする。世間の人々はクリシュの正体はクリスチャンだと思っていた。よって、アーリヤはクリスチャンを自らの手で殺害する。クリスチャンが殺されたことを知ったクリシュナは、再びクリシュのマスクを顔に付け、アーリヤの後を追う。

 アーリヤの要塞に忍び込んだクリシュナは、一路ローヒトの囚われている部屋へ向かう。だが、コンピューターによって自分が殺したのはクリシュではなかったこと、また本物のクリシュが既に要塞に忍び込んでいることを知ったアーリヤは先手を打ち、ヴィクラムを殺すと同時にローヒトとプリヤーを人質に取ってクリシュが来るのを待ち構える。クリシュはそれでもスーパーパワーを使って二人を救い、アーリヤを殺す。

 故郷に帰ったクリシュナとプリヤー、そしてローヒト。ローヒトは母親ソニアと感動の再会を果たす。そして宇宙に向けてジャードゥーに感謝のメッセージを送る。

 「インド初のSF映画」という鳴り物入りで「Koi… Mil Gaya」が公開されたとき、「どんなゲテモノ映画になっていることか」と不安と怖いもの見たさが入り混じった気分で映画館に足を運んだものだった。だが、その不安は見事に裏切られ、「Koi… Mil Gaya」はインド映画の良き伝統を保持しながらも、ハリウッドの得意ジャンルに果敢に切り込んだ野心作に仕上がっていた。その「Koi… Mil Gaya」の続編、しかも今度は「インド初のスーパーヒーロー映画」である。不安は前回よりも少なかったが、それでもやはり一抹の不安を覚えずにはいられなかった。だが、今回もその不安は杞憂に終わったと言っていいだろう。「Krrish」はインド映画の可能性を広げる素晴らしい映画であった。

 「Koi… Mil Gaya」と「Krrish」に共通する長所は、非インド的な映画ジャンルをインド的味付けにすることに成功していることだ。これらの映画を、「E.T.」(1982年)や「スーパーマン」(1978年)のパクリだと一言で片付けてしまうことは簡単だ。特に、映画好きだがインド映画にあまり愛着のない人は、そうやってこれらの映画を映画史の隅に追いやってしまおうとするだろう。だが、そういう人々はインド映画の独自の努力をあまり知らない。おそらく社会派映画や芸術映画のジャンルで優れた映画を作ることはそれほど難しいことではない。特にインドのような数々の問題が山積した国では、そのような映画の題材に困ることはないだろう。そして批評家や一部のハイソな観客の涙腺に訴えるような作品を作れば評価が得られるのだ。だが、娯楽映画は難しいジャンルだ。娯楽映画はなるべく多くの人々を楽しませなければならない。なるべく多くの人々――それは最終的には同じ言語、文化、社会を共有する全ての人々を意味する。そのためには、一般庶民の求めるものを正確に読み取って作品にしていかなければならない。しかも、世界の娯楽映画はほぼハリウッドに独占されてしまっている。娯楽映画のジャンルでハリウッドにかなう映画界は世界にはない。特に、ハリウッドほどの巨額の予算を投じた娯楽映画を年間何十本もリリースできるような映画界がどこにあるだろうか?娯楽映画を作る際、あらゆる意味で必ずハリウッドの娯楽映画が前に立ちはだかる。最も簡単なのは、娯楽映画を全てハリウッド任せにしてしまうことだ。その安易な対応のせいで、ハリウッド映画はさらに勢力を拡大してしまう。その中でも、インドは国産映画がハリウッド映画よりも圧倒的な人気を誇るほぼ唯一の国だ。予算や興行収入ではヒンディー語映画はハリウッドの足元にも及ばないが、もし制作本数や国際的人気の点でハリウッドに対抗できる映画界が存在するとしたら、それはヒンディー語映画だけだろう。ヒンディー語映画は娯楽映画の牙城をハリウッドに明け渡すことを潔しとせず、独自の価値観に従った娯楽映画の伝統を築き上げている。一般に、明らかに自分よりも巨大で優れた存在に対抗していくためには、それと全く別の路線を行くか、それともそのいいところを巧みに取り込んで自分の血肉としていくしかない。ヒンディー語映画はどちらの方向にも進んでいる。「Koi… Mil Gaya」と「Krrish」は、後者の努力をし、それを成功させた映画だと言える。

 「Koi… Mil Gaya」と同じく、「Krrish」もその表の華々しいテーマとは裏腹に、基本となっているのは家族愛と男女の恋愛である。特にクリシュナとソニアの関係、つまり祖母と孫の関係はこの映画の最も重要な柱となっていた。スーパーヒーローに「自分の正体を明かしてはならない」というタブーは付き物だが、クリシュの場合、そのタブーが祖母の言いつけである点に特に注目したい。スーパーヒーロー映画に、単なる伏線ではなく、家族の絆をここまで大々的に持ち込んだのは、「Krrish」が初めてかもしれない。その代わり、男女の恋愛への比重はハリウッドのスーパーヒーロー映画に比べて少なかったと言える。また、スーパーヒーロー・クリシュが登場して活躍するのは後半の後半だけで、実はそれほどスーパーヒーロー自体に比重が置かれていなかったのも、いい意味での裏切りであったし、この映画の成功の秘訣のひとつであろう。

 ヒマーチャル・プラデーシュ州のクッルー谷が舞台となっている前半と、シンガポールが舞台になっている後半の対比も見事であった。特に雄大なヒマーラヤ山脈の光景が目白押しの前半は、海外向けに「インドのプライド」を発信するのにふさわしかった。ソニアとクリシュナが隠れ住んでいた山奥は、マナーリーから20kmのパティクハルという村のようだ。一方、シンガポール政府は近年、自国を映画のロケ地として売り出しており、「Krrish」はその誘致に応えた最初の映画となった。よって、シンガポールでのロケは政府からの全面的なバックアップを得たようだ。シンガポールはサンスクリット語の「スィンハプラ(獅子の街)」が語源で、インド系移民も多く、元々インドとのつながりの強い場所。シンガポールでの登場人物をインド人だけにしてしまっても違和感はそれほどなかったと思うが(インド映画では海外のシーンでなぜか都合よくインド人がしゃしゃり出てくることが多い)、中国系の俳優やエキストラも多く出演しており、とても現実的であった。このヒマーラヤとシンガポールの2ヶ所をロケ地に選んだのは、インド製スーパーヒーロー映画を作るに当たって適切なチョイスだったと言えるだろう。

 そして映画をインド色に染める上で忘れてはならないのはミュージカルシーン。「Koi… Mil Gaya」ではSF映画にミュージカルとダンスを融合させるという離れ業をやってのけたが、スーパーヒーロー映画「Krrish」はそれに比べたらミュージカルとの相性は悪くはなかっただろう。前半のヒマーラヤのシーンでは、山岳音楽っぽいメロディーの「Chori Chori Chupke Chupke」と「Pyar Ki Ek Kahani」、後半のシンガポールのシーンでは、ポップなノリのラブソング「Koi Tumsa Nahin」とリティクの超絶ダンスが炸裂する「Dil Na Diya」が流れる。どのミュージカルシーンも無駄のない挿入の仕方だったと思う。ヒンディー語映画界最高のダンサー、リティクの踊りも十分に堪能できる。ただし、音楽は全体的に「Koi… Mil Gaya」の方がよかったかもしれない。

 主人公クリシュナと、前作の主人公ローヒトの二役を演じたリティク・ローシャンは、名実共にスーパースターとして成熟したと言っていいだろう。そして前作に引き続き、子供たちの人気を独り占めするだろう。リティクのスクリーン登場は2004年の「Lakshya」以来となる。一時フロップ続きの時期があったせいか、リティクは出演作を吟味し、基本的に映画を掛け持ちしないことに決めたようだ。アーミル・カーンと同じ道を進んでいる。クリシュナ役を演じるリティクは長髪がなかなか似合っており、さらにハンサムになったような気がする。そのくせローヒト役を演じるときは「Koi… Mil Gaya」のときのままのおかしな顔をしていた。この顔の使い分けが彼の一番すごいところかもしれない。踊りもますますうまくなっている。彼の踊りを真似できる人はほとんどいないだろう。

 ヒロインのプリヤンカー・チョープラーは、元からいかにも「スーパーヒーロー映画の正統派ヒロイン」と言った感じの容貌なので、適役だったと言える。「目をつぶって」と言われて目を大きく見開くところがかわいかった。プリヤーの親友ハニー役のマーニニー・ミシュラーは、いかにも「ヒロインの親友」と言った感じの引き立て役っぽい顔をしていて、これまた適役だった。これからも脇役女優として大きく羽ばたいていきそうだ。

 「Koi… Mil Gaya」に続き連続出演のレーカーは、一人だけ周囲とは違うオーラを放つ迫真の演技。迫真過ぎて映画のバランスを崩していた部分もあるかもしれない。しかし、レーカーだから仕方ない。まだまだレーカーは健在である。

 その他、パハーリー訛りの言葉でカーリーチャランとチャンパーの悲恋話を聞かせるバハードゥルを演じたヘーマント・パーンデーイ、悪役かと思ったら味方だったヴィクラム・スィナーを演じたシャラト・サクセーナー、憎々しいボスを演じたアルチャナー・プーラン・スィンなどがよかった。

 スーパーヒーロー映画では宿敵の存在も重要だ。クリシュの宿敵、スィッダールト・アーリヤ博士を演じるのはナスィールッディーン・シャー。彼は演技派男優なのだが、けっこう軽めの映画にも出演している。そういえば「Main Hoon Na」(2004年)にも少しだけ出演していた。「Krrish」のナスィールディーン・シャーは、楽しんでマッドサイエンティストに成り切っている感じだった。スーパーヒーローの宿敵はあらゆる手段で世界征服を試みるものだが、「Krrish」のアーリヤ博士は、コンピューターの力で未来を読むことにより世界征服を夢見た。例えば核兵器などの大量破壊兵器を手中に収めようとしたり、世界の政治や金融を何らかの手段で支配しようとしたりするという選択肢もあったはずだが、「未来を読む」といういかにもインド的な、かつ分かりやすい行為を、コンピューターというこれまたインドと結びつけて語られることの多い媒体によって成し遂げようとするマッド・サイエンティストを宿敵に設定したことも、この映画の優れた点のひとつに数えることができるだろう。ちなみに、アーリヤがコンピューターの起動を1日前倒しすることを決定するシーンでは、中世バクティ詩人カビールの有名なドーハー詩「Kal kare so aaj kar, aaj kare so ab(明日できることは今日やりなさい、今日できることは今日やりなさい)」が引用されていた。これもまたインド的である。

 クリシュのコスチュームはバットマンに近く、その動きはスパイダーマンに近いと言っていいだろう。クリシュは、「人前でスーパーパワーを使ってはいけない」という祖母の言いつけと、目の前で炎に包まれる人々を助けたい衝動の板ばさみの中で、正体を隠してスーパーパワーを使うことを思い付く。そしてサーカス会場に落ちていた欠けた仮面を顔に付け、火の中に飛び込んでいく。そして、「あなたは誰?」と聞く中国系の子供に、「僕の名はクリシュナ」と答えるが、それが「クリシュ」と聞き間違えられ、ニュースにより一気に「スーパーヒーロー・クリシュ」として知られるようになる。スーパーヒーロー誕生の瞬間は、どのスーパーヒーロー映画でも最も重要な場面だが、「Krrish」のこの流れは非常に自然で説得力のあるものだった。さらに、クリスチャンという中国系の青年がクリシュナの代わりにクリシュを名乗り、後にアーリヤに殺される、という伏線まで用意されていた。

 クリシュナまたはクリシュの超人的な動きには、「スパイダーマン」シリーズなどと比べると不自然な部分が少し見受けられたが、インド映画レベルなら合格点と言っていいだろう。クリシュナがクリスチャンの真似をしてカンフー・アクションをするシーンがあったが、そのときのリティク・ローシャンの動きは香港のカンフー俳優のようであった。これはリティクの持ち前の運動神経のおかげなのか、程小東アクション監督のおかげなのか、はたまた映像の力なのか。とにかく、この「Krrish」は、インド映画と香港映画の融合を推し進めたと言っていいだろう。映画中でも、「ヒンディー・チーニー・バーイー・バーイー(インド人と中国人は兄弟さ)」というセリフもあった。近い将来、カンフーの香港中国映画と、ナヴァラサのインド映画の華麗なる融合により、もしかしたら何かすごい映画ジャンルが誕生するかもしれない。

 ところで、最近のインド映画はわざとらしい商品の広告がうるさい。「Krrish」でも、子供向けチョコレート・ドリンク「Bournvita」、洗剤「Tide」、ポテトチップス「Lay’s」、ヒーローホンダ社のバイク「Karizma」など、あからさまな登場の仕方をしていた。おそらくこの商業主義的な行為を見て多くの観客はいい気分がしないだろうが、僕はこれらの動きを一応前向きに捉えている。なぜならインド映画界の資金源がブラックマネーからクリーンマネーに変わって来ていることを表していると捉えることができるからだ。インド映画界とマフィアの関係は公然の秘密であり、その資金源の多くはブラックマネーと言われている。だが、最近のインド映画の資金源は、出所が明らかなものに変わって来ているように思える。映画中にわざとらしく登場する商品広告やスポンサー表示がその表れのひとつであろう。

 「Krrish」はあらゆる意味で今年最も重要な作品のひとつと言える。インド映画最高の特撮映像を、ダンスを、アクションを、映画館で楽しむべし。