Gangster

4.5
Gangster
「Gangster」

 今日は、2006年4月28日から公開の新作ヒンディー語映画「Gangster」をPVRプリヤーで観た。「Gangster」の副題は「A Love Story」。プロデューサーはマヘーシュ・バット、監督は「Murder」(2004年)のアヌラーグ・バス、音楽監督はプリータム。キャストは、イムラーン・ハーシュミー、シャイニー・アーフージャー、カンガナー・ラーナーウト(新人)、グルシャン・グローヴァーなど。

 インドの警察から指名手配されているギャングスター、ダヤー・シャンカル(シャイニー・アーフージャー)と恋に落ちたスィムラン(カンガナー・ラーナーウト)は、共に警察の追っ手から逃げ回る毎日を送っていた。二人は結婚していなかったが、パスポートを偽造するために孤児の男の子ヴィットゥーを引き取り、三人家族を装って韓国のソウルに逃亡した。家族に憧れていたスィムランにとって、ダヤー、ヴィットゥーと共に暮らす生活は幸せそのものであった。しかし、ある日インドの諜報員に見つかって襲撃を受け、ヴィットゥーが殺されてしまう。

 ダヤーは悲しみに沈むスィムランを韓国に残して、モーリシャスやドバイなどを転々とする。しかも、ダヤーは週に1回しかスィムランに電話をしなかった。スィムランは次第に寂しさを紛らわすためにアルコール中毒になっていった。そんな中、スィムランは韓国の酒場でシンガーをしているアーカーシュ(イムラーン・ハーシュミー)と出会う。スィムランはアーカーシュの優しさに次第に心を開いていき、自分がギャングスターの女であるという秘密まで明かす。それを聞いてもアーカーシュはスィムランに失望したりせず、彼女への愛を変えなかった。スィムランはアーカーシュをいつしか愛するようになり、二人は一夜を共にする。

 ところが、電話をしてもなかなか出ないスィムランを怪しんだダヤーは、密かに韓国に戻っていた。ダヤーはアーカーシュを叩きのめすが、それを何とか止めたスィムランはダヤーに、今ではアーカーシュを愛していると言い渡す。泣き崩れるダヤーは、もうギャングスターの仕事は辞めることを誓う。そのときダヤーたちは再び諜報員の襲撃を受ける。何とか逃亡に成功した2人は、ソウルから離れた場所に居を定める。心を入れ替えたダヤーは、肉体労働をして日銭を稼ぐ。

 だが、スィムランはアーカーシュの子供を身篭っていることに気付く。ダヤーはインドへ戻るための偽造パスポートを受け取りにソウルへ戻っていた。スィムランはアーカーシュに電話をする。アーカーシュはすぐにスィムランのところへ駆けつけ、彼女と結婚したいこと、またダヤーのためにも、彼を警察に引き渡すことを提案する。

 一方、ダヤーはかつて師事していたギャングスターの大ボス(グルシャン・グローヴァー)とソウルで偶然出会い、殺されそうになる。それでも何とか返り討ちにしたダヤーは、スィムランをソウル駅に呼び寄せる。待ち合わせ時間を大幅に遅れてソウル駅にやって来たダヤーであったが、そこには警察が待ち構えていた。スィムランに裏切られたことを知ったダヤーは号泣しながらパトカーに押し込まれる。

 だが、スィムランはアーカーシュが実は諜報員であり、全てはダヤーを逮捕するための作戦であったことを知ってしまう。そしてアーカーシュはスィムランに対し、ギャングスターの情婦なんかに誰が真剣に恋をするかと言い放つ。インドに戻ったスィムランは、自分を裏切ったアーカーシュを暗殺する。そのときスィムランもアーカーシュに撃たれて負傷してしまうが、一命は取り留める。

 逮捕されインドに引き渡されたダヤーは死刑を宣告される。スィムランは、ダヤーの死刑執行と時を同じくして病院の屋上から飛び降り、自殺する。天国でスィムランはダヤー、ヴィットゥーと再会するのであった。

 狂おしい恋愛映画。インド映画にありがちなお気楽さがなく、胸をキリキリとしめつけられるような重々しさのある優れた映画であった。だが、アンハッピーエンドでありながら、映画館を出るときに晴れ晴れとした気分にさせてくれるのは、インド映画の長所を死守した結果と言えるだろうし、僕はそれを高く評価する。間違いなく2006年のヒンディー語映画の最高傑作のひとつに数えられる作品となるだろう。

 「Gangster」という題名からは、マフィア同士の抗争を描いた映画を想起してしまうが、副題の「A Love Story」が示す通り、この映画の基本は恋愛である。恋愛、そして裏切りに次ぐ裏切り、そして再び死でもって償われ、結ばれる恋愛。こういうインド映画は今までなかったのではないかと思う。

 映画的技法で最もうまかったのは、冒頭の導入部とインターミッションに入る前の映像。あらすじでは時系列に沿って書いたが、映画では現在と過去が交錯する。冒頭では、スィムランが1人の男を銃で撃ち、自身も男に撃たれるシーンが描かれる。病院に担ぎ込まれたスィムランと男は、同じ手術室で手術を受ける。そこからスィムランの回想シーンへと移る。

 スィムランの回想の中で、アーカーシュとの出会い、ダヤーとの関係などが明らかになり、再びインターミッション前に手術室の映像となる。そこで、隣で手術を受けていた男が息を引き取る。このときまで男の顔は隠されているが、男が死ぬと初めて、それがアーカーシュであることが分かる。スィムランは無表情のままである。このとき、スィムランがアーカーシュに騙されたことまでは語られていないので、観客はスィムランのこの表情に悲しみを見る。だが、インターミッション後のストーリーから、スイムランの表情には、自分を裏切り、ダヤーを裏切る原因を作ったアーカーシュが死んだことへの達成感を浮かべていたのだと再認識する。インターミッションを上手に使ったうまい演出であった。

 演技の点で最も印象に残ったのは、ソウル駅の前でのスィムランとダヤーの待ち合わせのシーン。アーカーシュに説得されたスィムランは、ダヤーを警察に引き渡すことを決め、ダヤーが現れるのを待っていた。かつてのボスとの戦いで血だらけになっていたダヤーは2時間遅れで駅に現れ、スィムランに抱きつく。そして、ポケットから小さなケースを取り出す。しかし、そのときパトカーのサイレンの音が鳴り響く。スィムランに裏切られたことを知ったダヤーは、次第に顔を崩し、遂には号泣し始める。ダヤーを演じたシャイニー・アーフージャーは全体的にオーバーアクティング気味であったが、このときの号泣振りだけは素晴らしかった。ダヤーが逮捕された後、地面に落ちたケースからは、赤いスィンドゥールの粉がこぼれ落ちていた。インドではスィンドゥールは結婚の証。ダヤーはスィムランに正式に結婚を申し込もうとしていたのであった。

 ヒロインのカンガナー・ラーナーウトはヒマーチャル・プラデーシュ州出身の新人女優である。声が鼻声っぽくて気になったが、新人とは思えないほど堂々とした演技をしていたし、「連続キス魔」イムラーン・ハーシュミーとの濃厚なキスシーンも難なくこなしており、これからに期待できる。イムラーン・ハーシュミーは、素朴な青年役と見せかけて実はとんだ曲者という役。彼の出演作の中ではベストと言える演技だった。

 この映画には他にいくつも特筆すべき事柄がある。やはり日本人として最も気になるのは、この映画の大部分がソウルでロケされていることだ。一説によると、この映画は韓国でロケされた初めてのインド映画らしい。日本とそれほど変わらないソウルの風景の中でインド映画が繰り広げられるのは奇妙な感じだった。そういえばこの映画のストーリーは少し韓国映画っぽいところがあった。イムラーン・ハーシュミーが眼鏡をかけていたのも、もしやヨン様の真似か?昨今、インドでは韓国企業の躍進が著しい。おそらく韓国企業がインド映画の韓国ロケを誘致したのではなかろうか。現に、ソウル駅前のシーンではわざとらしく駅前スクリーンにLGの広告が流れていた。日本企業もインド映画の力をもっとうまく利用して、「Love in Tokyo」(1966年)以来初の日本ロケ実現に向けて頑張ってもらいたいものだ(そういえば「Dhoom: 2」はソニーが全面協力しているようだ)。

 この映画の題材になったのは、1993年のムンバイー連続爆破テロの主犯とされるアブー・サレームとその愛人で元映画女優のモニカ・ベーディーと言われている。インド警察から指名手配されていたアブー・サレームとモニカ・ベーディーは2002年9月18日にポルトガルのリスボンにおいて偽造文書所持の疑いで逮捕された。それ以来、インドはポルトガルに対して二人の引渡しを求めており、2005年11月11日にようやく本国送還に成功した。現在アブー・サレームは公判中である。アブー・サレームは自身の人生を題材にした映画の上映を禁止するように訴えたが、マヘーシュ・バットは「映画は創作であり現実の人物とは関係ない」と主張している。アブー・サレームも結局上映禁止の訴えを取り下げたようだ。ちなみに、アブー・サレームの自供は、ヒンディー語映画男優サンジャイ・ダットのムンバイー連続爆破テロへの関与を示唆しており、そのおかげでサンジャイ・ダットは危機に陥っている。

 また、この映画のキャスティングには二転三転があったようだ。当初、アーカーシュ役のオファーを受けたのは、パーキスターンの豪腕投手ショエーブ・アフタルであり、またスィムラン役をオファーされたのは、マッリカー・シェーラーワトだったようだ。マヘーシュ・バット制作「Nazar」(2005年)で主演したパーキスターン女優ミーラーの妹、アクサ・ルバーブも候補に入ったようだが、結局イムラーン・ハーシュミーと新人のカンガナー・ラーナーウトが演じることになった。

 マヘーシュ・バット制作の映画は、パーキスターンの俳優や音楽家とのコラボレーションが多いが、この「Gangster」では今度はバングラデシュで大人気のバンド、ジェームス(James)が「Bheegi Bheegi」でヒンディー語映画デビューを果たしている。しわがれ声の熱唱ボーカルがかっこいい。アッサム人歌手ズビーンのカッワーリー風ソング「Ya Ali」もよい。だが、「Gangster」の中でも最も優れているのは、K.K.が歌う「Tu Hi Meri Shab Hai」であろう。音楽監督は「Dhoom」(2004年)で大ヒットを飛ばしたプリータム。イムラーン・ハーシュミーが出演する映画のサントラはなぜかヒットする確率が非常に高いが、この「Gangster」もヒット中であり、買う価値ありである。

 イムラーン・ハーシュミーが出る映画は何となく退廃的な狂おしい情愛を描く映画が多いような気がする。「Gangster」もその潮流に乗った作品であり、しかもある種の到達点に達している優れた作品だ。もはやこれは、「イムラーン映画」というジャンルの確立を宣言してもいい時期ではなかろうか。