Humko Deewana Kar Gaye

2.5

 グッドフライデーで休日の今日、PVRアヌパム4で、2006年4月14日公開の新作ヒンディー語映画「Humko Deewana Kar Gaye」を観た。昼の回を観に行ったのだが、あいにく満席。夕方の席を予約し、家に帰って、夕方にまたサーケート(PVRアヌパム4のあるマーケット)に戻って来た。

 「Humko Deewana Kar Gaye」とは、「私を恋の虜にしてしまった」という意味。専門的な話になるが、「する」という意味の他動詞「karna」の後に「jaana」が来るのは少し特殊な用例である。この場合、2つの文法的解釈が考えられる。ひとつは「kar(ke) jaana」の完了形。これだと「私を恋の虜にして行ってしまった」という意味になる。もうひとつは「kar」+「jaana」の特殊な複合動詞。他動詞の複合動詞に「jaana」は普通使われないが、続いた場合、「主語は、意思とは関係なく~してしまった」というニュアンスになる。題名を「私を恋の虜にしてしまった」と訳したのは、後者の解釈に拠っている。映画の内容からそう判断した(後述)。ただし、どちらでもいいだろう。また、題名に主語はないが、「aap(あなた)」または「tum(君)」であることは明白。「hum」は文法的には「私たち」という意味の一人称複数代名詞だが、用例によっては「私」という一人称単数を指すことが時々ある。映画の題名に出てくる「hum」は「私」と訳した方がいい場合が多く、この場合もそれに該当する。

 監督は「Andaaz」(2003年)などのラージ・カンワル、音楽はアヌ・マリク。キャストは、アクシャイ・クマール、カトリーナ・カイフ、アニル・カプール、ビパーシャー・バス、バーギシャシュリー、ヘレン、ヴィヴェーク・シャウクなど。

 自動車会社に勤めるアーディティヤ・マロートラー(アクシャイ・クマール)は、ファッションデザイナーのソニア(ビパーシャー・バス)と婚約した。アーディティヤはカナダへ転勤となり、ソニアはファッションショーのためにパリへ行った。カナダへ渡ったアーディティヤは、そこでインド人女性ジヤー・ヤシュワルダン(カトリーナ・カイフ)と何度も偶然の出会いを繰り返す内に恋に落ちる。だが、ジヤーにもカラン・オベロイ(アニル・カプール)という婚約者がいた。しかもカランはインドを代表する大富豪で、目的のためなら手段を選ばない危険な男だった。

 アーディティヤは、仕事第一のソニアに不満を持っていた一方、ジヤーも結婚と買収を大して区別していないカランの態度に疑問を感じていた。アーディティヤを信頼し、心の中で彼との結婚を夢見ていたジヤーはある日、アーディティヤに自分の過去のトラウマを打ち明け、厳格な父親のせいで子供の頃から家族の幸せを感じたことがないこと、しかも母親を自殺に追いやったのは父親の冷たい態度だと信じていることを伝える。アーディティヤはジヤーの悩みを、ルームメイトのパーキスターン人ナワーブ・シャリーフ(ヴィヴェーク・シャウク)に相談する。だが、ナワーブは酒に酔ってそれを別の友人の前でしゃべってしまう。運の悪いことに、その中にはジャーナリストもいて、その話を新聞に掲載してしまう。

 ジヤーの父親はその新聞を見て激怒し、ジヤーをインドのムンバイーへ送り返す。ジヤーもアーディティヤに裏切られたことにショックを受ける。アーディティヤは空港までジヤーを追いかけて行くが、ジヤーは彼を許そうとしなかった。その空港で、アーディティヤはソニアと再開する。

 アーディティヤとソニアは結婚式を挙げるためにムンバイーへ戻る。ムンバイーでもソニアは仕事に追われており、アーディティヤとゆっくりできる時間は取れなかった。だが、ソニアが関わっていた仕事は、実はカランとジヤーの結婚式のアレンジであった。ソニアに誘われて結婚式に出席したアーディティヤは、ジヤーとまたも運命の再開を果たす。だが、アーディティヤの目の前でカランとジヤーの結婚の儀式は行われてしまう。その後、ジヤーは新聞記者にジヤーの過去のことをしゃべったのはアーディティヤでないと知って後悔し、アーディティヤに話しかける。二人は、一生お互いのことを忘れないことを誓い合う。だが、その様子をカランに見られてしまう。

 怒ったカランはアーディティヤに出て行くよう命令し、ジヤーをも追求する。またソニアも、アーディティヤがジヤーを愛していることを知ってショックを受ける。外に出たアーディティヤは、自動車がひっくり返っているのを発見する。その中にいたのはジヤーであった。ジヤーは自暴自棄になって自殺を図ったのだ。アーディティヤは爆発寸前の自動車からジヤーを救出する。その様子を見たカランは、ジヤーの首にかかっていたマンガルスートラ(結婚の証)を引きちぎり、ジヤーの手をアーディティヤに託す。ソニアもそれを祝福する。

 男女の出会いで始まり、障害を乗り越えた末の結婚で終わる、ごく普通のインド映画であった。筋に説得力が乏しいこと、挿入されるミュージカルシーンの数が過剰であることなど、マイナス要因も多かった。だが、問題のある婚約者を抱えた2人の男女が、最後に結婚を勝ち取るという筋は、多少目新しいものがあった。

 インド映画の重要な原則のひとつに、「結婚前の恋愛は恋愛が勝つが、結婚成立後はいかなる恋愛よりも結婚の方が優先される」というものがある。この映画では、カランが既婚女性の証であるマンガルスートラをジヤーの首にかけ、二人の結婚が成立してしまった後に、土壇場でカランがジヤーのマンガルスートラを引きちぎり、アーディティヤに彼女を渡すというクライマックスになっており、少し特殊だった。だが、それは結婚式の当日、スハーグラート(初夜)前に起こっており、上記の原則から大きく外れてはいない。

 それぞれ婚約者がいる男女が恋愛することに対する背徳性についても、言い訳めいた伏線が用意されていた。アーディティヤは、ソニアとの婚約式に婚約指輪を忘れて来てしまうのだ。婚約式会場でそれに気付いたアーディティヤは、祖母の指輪を婚約指輪代わりにしてソニアの指にはめる。このハプニングは、暗に「この婚約は元々不成立だった」ということを示していると思われる。

 アーディティヤとジヤーの出会いから恋に落ちるまでの一連の流れは、繰り返される出会いを「アクシデント(単なる出来事)→コインシデンス(偶然)→デスティニー(運命)」と定義し直していく使い古されたもので、先日見たZ級映画「Saawan… The Love Season」(2006年)でも同じような手法が使われていた。自動車レースなど、あまり意味のないシーンも多く、はっきり言ってもっと短縮することもできただろう。

 しかしながら、この映画のひとつの見所は、お互い他の人に恋をしてはいけない立場であり、しかもそれをお互い分かり合っているのに、それでもお互いのことを好きになってしまった、という心のどうしようもない共鳴であろう。だから、題名も「私を恋の虜にしてしまった」と訳した。こう訳した方が、「あなたも私を恋の虜にしてはいけないと分かっているのに、でも結局私を恋の虜にしてしまったのよ」という感情がより鮮明になり、叙情的である。映画中には、「エヘサース(フィーリング)」という言葉が何度も出てきて、「フィーリングこそが人間関係の源だ」と強調されていた。

 それに関連し、映画中にはいくつかいい台詞が出てきた。「結婚は、人間関係で成るものではない。フィーリングで成るものだ」「人生は人間関係のためにあるのではない、人間関係が人生のためにあるのだ」など。また、ナワーブ・シャリーフが、ジヤーとの恋愛を続けて彼女の家族に嵐を巻き起こすことを躊躇するアーディティヤに言う台詞「嵐にお願いすることはできない、嵐には立ち向かわなければならない」もよかった。

 ただし、フィーリングを主題にしている割には、主人公周辺の人々の心情描写は甘かった。特にソニアがみすみすアーディティヤをジヤーに渡してしまうとは思えない。もう少し詰めた方がよかっただろう。

 現在ヒンディー語映画界の「オールラウンダー」アクシャイ・クマールは卒のない演技。安心して見ていられる男優である。アニル・カプールは後半からの出演で、「Taal」(1999年)のときのようなキャラクターであったが、映画の雰囲気にあまりフィットしていなかった。

 この映画の大きな収穫はカトリーナ・カイフであろう。「Maine Pyaar Kyun Kiya」(2005年)の方が魅力的ではあったが、今回はより演技に磨きをかけていた。英国人とカシュミール人のハーフであるカトリーナは、「美しい」と「かわいい」と「かっこいい」が見事に融合した女優だと思っている。近い将来大スターになる可能性も少なくない。個人的に最も注目している若手女優である。

 ビパーシャー・バスはほとんど出番なし。彼女が演じたソニアは、仕事を優先する女性に冷たいインド映画の基本路線を踏襲している。

 往年の名ダンサー、ヘレンが特別出演。アーディティヤの姉の夫の母親役で、姉の息子の誕生日パーティーで間違って酒を飲んで踊り出すという変な役であった。そういえば映画中、シャンミー・カプールとヘレンが踊る「Junglee」(1961年)の「Aai Aai Aa Suku Suku」が使われていた。

 音楽はアヌ・マリク。カランとジヤーの結婚式で流れるモダン・カッワーリー風「Mere Saath Chalte Chalte」が最もよい。他にも「Fanaa」、「Rock Star」などアップテンポの曲が多い。歌詞は「君が来なければよかった、来ても去って行かなければもっとよかった」というタイトル曲「Humko Deewana Kar Gaye」が一番いい。「Humko Deewana Kar Gaye」のサントラCDは買いである。

 ちなみに、アーディティヤが勤めている自動車会社はどう見てもトヨタであった。

 「Humko Deewana Kar Gaye」は、インド映画の典型みたいな映画なので、もし「コテコテのインド映画を観てみたい」という人にはオススメだ。また、カトリーナ・カイフを見る目的でも観てもいいだろう。ものすごく退屈というわけではないが、特に楽しい映画でもない。