Saawan… The Love Season

0.5

 今日の日記は変則的に、映画評と時事ネタを合体させて書こうと思う。

 今日は、コンノートプレイスの映画館オデオンで、2006年4月7日公開の新作ヒンディー語映画「Saawan…」を観た。「Saawan…」は、サルマーン・カーンが出演しているものの、つまらないと評判の映画であった。そんなつまらない映画をなぜわざわざ観に行ったのか?それにはいくつか理由がある。

 まず、何と言ってもこれがサルマーン・カーンの映画であるからだ。僕は特にサルマーン・カーンのファンというわけではない。だが、インド映画ファンとして、サルマーン・カーンの出演する映画は可能な限り全て見ておかなければならないという義務感を持っている。なぜなら、サルマーン・カーンはインド各地に親衛隊があるほど人気を誇る男優であり、いかにつまらない映画でも、彼が出演するとそういう熱狂的なファンが映画館に押し寄せて、ヒット作に大化けする可能性があるからだ。僕はそれを2003年の「Tere Naam」のヒットで実感した。ヒット映画は映画館で観ておかないと気が済まないので、必然的にサルマーン・カーン映画は否応なしに観ることになってしまう。

 もうひとつは、特に現在、サルマーン・カーンが渦中の人になっているからだ。サルマーン・カーンは4月10日、ジョードプル裁判所より、1998年9月28日に保護動物に指定されているチンカラ(鹿のような動物)を密猟した罪で、5年の懲役刑を宣告され、即日ジョードプル中央刑務所に収容された。「囚人番号210番」となったサルマーン・カーンは、スーパースターだからといって特別扱いはされず、他の囚人たち――同刑務所には殺人犯やテロリストも収容されている――と同じように扱われることになった。つまり、日中は40度まで気温が上昇する二人部屋の監房に収容され、食事は砂糖なしのチャーイ、チャンナ豆、ローティー、ダール、ジャガイモとトマトのサブジーなど、質素な料理のみ。ベッドや枕などはなく、毛布3枚が支給される。なぜ毛布だけは3枚も支給されるのか?新聞記事によると、枕は自殺に使用される可能性があるので囚人には支給されないのだとか。だから、1枚の毛布は下に敷き、もう1枚の毛布は丸めて枕代わりにするらしい。しかも夜は蚊が大変らしく、さらにもう1枚の毛布をかぶって凌げということのようだ。そういうわけで毛布だけは3枚も支給されるのである。およそスーパースターが住む環境ではない。判決が出た日、TVのニュース番組は、「Tere Naam」中に出てきた、精神患者用の修道場に収容された植物人間状態のサルマーン・カーンの映像が流されていて笑えた。また、この判決には不明な点もある。サルマーン・カーンの密猟の目撃者は、彼が雇った運転手ハリーシュ・ドゥラーニーなる人物のみなのだが、ドゥラーニーは2002年に法廷でサルマーン・カーンの密猟を証言をして以来、数年間ずっと姿をくらましていたのだ。ドゥラーニーは森林局の役人に脅されて証言をしたという話もあり、もしかしたら事件は思ったほど単純ではないかもしれない。その裏には、森林に住み、森と動物の保護を訴えるビショノーイー族の政治的活動や、セレブリティーを狙い撃ちする野生動物保護運動家メーナカー・ガーンディーの影が見え隠れする。しかもサルマーン・カーンは、別件の密猟やひき逃げなどの裁判も抱えており、もしこのまま保釈が許されないと、彼の俳優人生は終わってしまう。また、サルマーン・カーンの裁判は、彼だけの人生の問題ではない。サルマーン・カーンは現在、合計15億ルピーの大予算映画5本の撮影を控えている。サルマーン・カーンの懲役刑は、それらの映画の頓挫を意味する。しかもさらに悪いことに、サルマーン・カーンと同じく密猟の罪に問われている映画スターたちがまだいる。サイフ・アリー・カーン、ニーラム、タブー、ソーナーリー・ベーンドレー、サティーシュ・シャーなどである。サルマーン・カーンに対する厳罰が先例化してしまうと、他のスターの判決にまで影響が出て、ヒンディー語映画界全体が沈没する可能性もあるほどだ。さらに事件を劇的にしているのは、サルマーン・カーンの母親サルマー・カーンが、判決が出た途端に気絶して病院へ運ばれてしまったことである。当然、サルマーン・カーンのファンたちは彼の釈放を訴えている。それに、密猟で5年の懲役刑は過去類を見ないほど重い判決である。これが「セレブリティーに対する差別ではないか」、「いや、セレブリティーは一般人以上に社会的責任がある」という論争も巻き起こしている。このように、サルマーン・カーンの刑務所行きは、周囲に大きな波紋を呼んでおり、まさに映画のような状況になりつつある。

 このような状態なので、もしかしたらサルマーン・カーンへの同情から、ちょうどタイムリーに公開されていた「Saawan…」の動員数が急増するのではないかと予想していた。現に、ジョードプルの「Saawan…」を上映している映画館は、サルマーン・ファンの集会場のようになっているという記事があった。

 また、「Saawan…」が噂通りの駄作ならば、今日で公開が終わってしまう可能性が高かった。インドでは通常、金曜日が映画の封切日になっている。つまらない映画は1週間で上映が終了してしまうので、もし観たいなら木曜日が最後のチャンスということになる。というわけで、今日、「Saawan..」を観に行ったのであった。

 最近はPVRなどのシネコンや高級映画館で映画を観ることがほとんどだが、サルマーン映画は安い映画館で観た方が盛り上がって面白いと思ったので、今日だけは特別に、コンノートプレイスのオデオンで見た。オデオンは昔よく行っていた映画館で、懐かしかった。ちなみにチケット代はリアストール(後ろの方の席)で50ルピー。デリーの高級映画館のチケット代は大体150ルピーなので、その3分の1だ。ただ、残念なことにあまり客入りがよくなくて、観客の盛り上がりは思ったほどではなかった。

 「Saawan…」とはヒンドゥー暦の5番目の月で、7月半ばから8月半ばにかけての期間を指す。だが、これは北インドではちょうど雨季の時期であり、「雨季」と訳していいだろう。副題は「The Love Season」。よく言われることだが、インド映画では濡れ場になると突然雨が降り出す。大地を潤す雨は愛の象徴であり、雨季こそが「恋の季節」なのだ。日本では「恋の季節」と言ったら、春になるだろうか?夏?「恋愛の秋」という言葉もある。だが、ジメジメした梅雨の時期をして「恋の季節」とはあまり言わないだろう。気候の差、文化の差を感じる。

 監督はサーワン・クマール、音楽はアーデーシュ・シュリーヴァースタヴ。キャストは、サルマーン・カーン、カピル・ジャヴェーリー、サローニー・アスラーニー、プレーム・チョープラー、ランジート、ボビー・ダーリン、ジョニー・リーヴァルなど。

 南アフリカ共和国に旅行に来ていたラージ(カピル・ジャヴェーリー)は、同じく旅行で来ていたカージャル(サローニー・アスラーニー)と運命的な出会いを繰り返す。ラージとカージャルは恋に落ち、結婚を決める。二人の父親(プレーム・チョープラーとランジート)は実は旧知の仲であることが発覚し、結婚はとんとん拍子に進んだ。

 二人はムンバイーに戻り、結婚の準備を始めた。そのとき、カージャルは謎の男(サルマーン・カーン)と出会う。その男は、未来を予知し、人の死を予言する不思議な能力を持っていた。神様が事あるごとに男に未来を語りかけるのだった。興味を持ったカージャルは、結婚後の自分の人生をその男に聞く。すると男は、「お前は金曜日に死ぬ」と言う。

 男の能力を信じていたカージャルは、自分の運命を受け入れ、死までの期間、思う存分人生を楽しむことを決める。ラージはカージャルの言うことを信じていなかったが、彼女に合わせることにする。ところが、金曜日にカージャルは流れ弾に胸を撃たれてしまう。病院に搬送されたカージャルは緊急手術を受けるが、予断を許さない容態であった。

 怒ったラージは、カージャルに死を宣告した男のもとへ駆けつけ、殴りかかる。そのとき神様から男にメッセージが下される。それは、男の死と引き換えにカージャルの命を助けるというものだった。男は自分の能力に嫌気が差しており、死を望んでいた。よって喜んでその条件を受け入れ、ラージに殴られるままとなり、頭から血を流して倒れる。

 その後、ラージが病院に駆けつけると既にカージャルは死んでしまっていた。ところが、ラージに殴られて床に倒れていた男が息を引き取ると、カージャルは息を吹き返した。

 期待に違わぬZ級の駄作。サーワン・クマール監督はこんな作品を世に発表して恥ずかしくないのだろうか?だが、駄作ながらいろいろ特筆すべき点がいくつかある作品であった。

 まず、何よりずっこけだったのは、主役だと思っていたサルマーン・カーンが、実は特別出演であったことだ。ポスターなどではあんなに大々的にサルマーンの顔が出ているのに・・・。主演は、「Dil Pardesi Ho Gayaa」(2003年)に出演していた若手俳優、カピル・ジャヴェーリーとサローニー・アスラーニーであった。この二人が演じるラージとカージャルの出会い、恋愛、そして婚約までの退屈な展開が、前半の大部分を占め、その間、サルマーン・カーンの出番はない。映画が始まって4-50分ほど経った後に、突然ミュージカル「Tu Milaa De」が始まり、サルマーン・カーンの登場となる。観客席がある程度埋まっていると、このシーンで拍手喝采となるわけだが、僕が観ていたときは、口笛が少し鳴っただけであった。

 そして、ヒンディー語映画に詳しい人ならポスターを見ればすぐに分かるように、この映画は暗に「Tere Naam 2」みたいな位置づけの作品であった。「Tere Naam」の監督はサティーシュ・カウシクで、直接の続編ではないのだが、しかしサルマーン・カーンの髪型、キャラクター、そして彼の自宅(多分「Tere Naam」に出てきた家と同じ)などが、「これは『Tere Naam 2』なんだ!」と雄弁に物語っていた。サルマーン・カーンの登場シーンで流れる「Tu Milaa De」という曲も、「Tere Naam」っぽいメロディーであった。

 ストーリーの核となるのは、自分の死期を悟った人間の行動である。これは、インド映画でも「Anand」(1971年)や「Kal Ho Naa Ho」(2004年)で使い古されてきたテーマだ。ヒロインのカージャルも、「『Anand』のラージェーシュ・カンナーや『Kal Ho Naa Ho』のシャールク・カーンみたいに、一瞬一瞬を100年のように生きたいの!」としゃべっていた。そして彼女がラージに何を要求したかというと・・・「私はコンプリート・ウーマン、スハーギニーになって死にたいの!」こうして、ラージとカージャルの退屈なベッドシーンへと移っていく・・・。つまり「処女のままでは死にたくないわ」ということか!

 ヒーローのカピル・ジャヴェーリーは平均レベルの若手男優だが、ヒロインのサローニー・アスラーニーは今後作品に恵まれたらもしかしたらある程度大きくなれるかもしれない。彼女の最大の特徴は・・・テニス・スター、サーニヤー・ミルザーに何となく似ていること!演技も溌剌としていて悪くなかった。

 久々にジョニー・リーヴァルをスクリーンで見ることができて嬉しかった。一時期、ヒンディー語映画はジョニー・リーヴァルだらけということがあったのだが、最近全然登場しなくなってしまった。売れなくなってしまったのか、それとも何か他の仕事で忙しいのか?こんな駄作に出演しているところを見ると、前者なのかもしれない。ジョニー・リーヴァルの相手役を務めるのは、ヒンディー語映画界切っての「オカマ男優」ボビー・ダーリン。しかし今回は「完全な女性役」で出演であった。

 だが、何と言ってもこの映画はサルマーン・カーンに尽きる。寡黙だが最強というインド人好みのキャラクターで、ヒーローを上回るヒーローっぷりを見せる。しかも神の声を聞くことができる「選ばれし者」。「Tere Naam」のサルマーン・カーンの髪型はインド中に長髪ブームを巻き起こしたが、この映画はどうであろうか?ちなみにサルマーンが演じた役の名前は映画中で明かされていなかった。

 音楽はアーデーシュ・シュリーヴァースタヴァ。「Saawan…」の音楽は悪くないのだが、映画中での使われ方は「台無し」という言葉がピッタリであった。「Mere Dil Ko Dil Ki Dhadkan Ko」は、ドバイで撮影されたと思われるベリーダンスナンバー。白人ベリーダンサーたちがセクシーなダンスを披露するのだが、カピル・ジャヴェーリーとサローニー・アスラーニーの下手なダンスも重ね合わされるためストレスが溜まる。もっとベリーダンスを見せてくれ、と。

 舞台は南アフリカ共和国だったりドバイだったりと節操がなく、登場人物が今一体どこにいるのか、混乱して来る。

 「Saawan…」がもしヒットするならば、それはひとえにサルマーン・カーンの人気ゆえであろう。サルマーンがいなかったら、映画館で上映されることもなかった駄作である。

 さて、「Saawan…」を見終わり、PVRプラザに併設されているお洒落なフードコート「Picadelhi」で夕食を食べた後、家に帰ってTVを付けてみたら、ちょうどサルマーン・カーン釈放のニュースが流されていた。結果的にサルマーン・カーンは3日3晩刑務所にいたことになる。TVの映像によると、ジョードプル中央刑務所や、ムンバイーのサルマーン自宅前は、サルマーンの釈放を喜ぶファンでいっぱいとなっていた。英領時代、多くのフリーダムファイターたちは独立運動を主導して刑務所に収容された。その民族的記憶から、日本とは違って、インドでは刑務所に入れられることが何か英雄的響きを持つことがある。サルマーンも刑務所に入ってさらに人気度を上げたと言っていいだろう。ちなみに、翌日の新聞によると、サルマーンは刑務所の中で囚人たちの人気者になったらしく、映画の撮影やボディービルディングの講釈をして過ごしたそうだ。

 それと同時に、今日話題になっていたのは、カンナダ語映画界の大スター、ラージクマールの葬儀である。ラージクマールは4月12日に心臓麻痺により死去したが、それ以来カルナータカ州は大騒ぎとなっている。彼はカンナダ語映画にしか出演しておらず、ほとんどヒンディー語映画しか見ない僕にはどれほどの大スターだったかがいまいちよく分からないのだが、ヒンディー語映画界に当てはめるとおそらくアミターブ・バッチャン以上の熱狂的人気を誇る大スターだったと思われる。盗賊ヴィーラッパンに誘拐されたことも記憶に新しい。カルナータカ州中からラージクマールに花を捧げるためにファンがバンガロールに殺到し、それが暴動にまで発展したという。おかげで今日はバンガロールは都市機能が麻痺していたそうだ。

 北のサルマーン、南のラージクマール。今日は、インドにおける映画の力をまざまざと見せつけられた日であった。これをインドの後進性と見るか、それとも本当の意味での「映画」が生きている国の現実と受け取るか、それは人それぞれであろう。