Umar

2.5
Umar
「Umar」

 今日はPVRアヌパム4で、2006年3月17日公開の新作ヒンディー語映画「Umar」を観た。「Umar」とは「年齢」という意味。監督はカラン・ラーズダーン、音楽はシャミール・タンダン。キャストは、カダル・カーン、プレーム・チョープラー、サティーシュ・カウシク、ジミー・シェールギル、シェナーズ・トレジャリーワーラー、シャクティ・カプール、ディリープ・ターヒルなど。

 イクバール(カダル・カーン)、チャンドラカーント(プレーム・チョープラー)、ラージパール(サティーシュ・カウシク)は、ロンドンで老後の人生を過ごす仲良し三人組のインド人たちであった。イクバールは息子を警察に射殺され、警察署に放火してインドから逃げて来た経歴を持っていた。チャンドラカーントとラージパールは、ロンドン在住の息子夫婦に呼ばれてインドから英国へ来たが、息子夫婦に使用人扱いされ、細々と暮らしていた。

 一方、孤児のシャシャーンク(ジミー・シェールギル)は奨学金でロンドンの大学に留学しているインド人の学生であった。シャシャーンクはインド人実業家ラカー(シャクティ・カプール)の一人娘サプナー(シェナーズ・トレジャリーワーラー)に恋をしていた。だが、政治家ベン・チッバルの息子ヴィッキーもサプナーに恋しており、シャシャーンクを敵視していた。シャシャーンクは老人ホームでボランティアをしたり、バーで働いたりしていた。また、バーの女主人ヴィクトリアは、シャシャーンクを誘惑していた。

 シャシャーンクは孤児であったため、老人を敬うことを忘れない若者であった。いつも息子夫婦にいじめられているチャンドラカーント、ラージパールや、イクバールはシャシャーンクをとても気に入り、こんな息子がいたらと夢想する。シャシャーンクはサプナーと付き合うことになり、父親にも気に入られる。

 ところが、シャシャーンクは何者かに罠にはめられる。ヴィクトリアが殺害され、シャシャーンクはその犯人にされてしまう。シャシャーンクの無実を信じる三人組は力を合わせてシャシャーンクを逃がし、かくまう。シャシャーンクは警察から1万ポンドの懸賞金をかけられる。チャンドラカーントとラージパールの息子夫婦たちは、3人組がシャシャーンクをかくまっていることを知り、警察に通報する。3人組はシャシャーンクと共に逃げ出す。また、サプナーもその逃亡に加わる。

 シャシャーンク、サプナー、そして三人組は、警察やベン・チッバルから逃げながら真犯人を追う。シャシャーンクが手に入れたヴィクトリアの携帯電話には、ヴィクトリアと一緒に映るベン・チッバルの映像が入っていた。実はベン・チッバルはヴィクトリアのことが好きだったが、ヴィクトリアがシャシャーンクのことを好きになったため、ヴィクトリアを殺し、その罪を息子のヴィッキーの助けを借りてシャシャーンクになすりつけたのだった。

 再度裁判が行われ、シャシャーンクは無実となる。喜ぶ3人組は、シャシャーンクとサプナーだけを自分の子供と認める。シャシャーンクはヴィクトリアの遺言によりバーのオーナーとなり、3人組も引き続きバーで働くことになった。

 「Umar」は、「Baghban」(2003年)、「Viruddh」(2005年)に続く、老年俳優が主人公のシルバー層向けインド映画と言っていいだろう。ただし、「Baghban」や「Viruddh」ほど洗練された映画ではなく、B級映画の域を出なかった。また、あらすじは「Baghban」と非常によく似ていた。よって、高い評価を与えることはできない。

 この映画が最も言いたいことは、「老人も可能な限り自立すべし」ということだろう。チャンドラカーントやラージパールは、息子たち家族と一緒に住むことを夢見て、インドに持っていた財産を全て売り払ってロンドンに移住して来た。それらの財産は全て息子夫婦に手渡したのだが、ロンドンでの生活はひどいものだった。チャンドラカーントはコック、ラージパールはアーヤー(子守)の仕事を任せられ、日々の小遣いにも困る生活を送らされていた。彼らは、「ワシらの人生は何だったんだろうな?」とお互いに質問し合う。映画の最後で3人組は、「財産は決して子供に譲らず、老後も人生を楽しむべし」とメッセージを送っていた。

 一方、若者に対するメッセージももちろんあった。チャンドラカーントとラージパールの息子夫婦と、孤児のシャシャーンクの性格が対比され、高齢者を敬うことの大事さが啓蒙されていた。シャシャーンクは映画の最後で、「両親や祖父母がいることだけで幸せだと思いましょう」と観客に呼び掛けていた。

 英国におけるムスリムに対する不当な差別も少しだけ提起されていたが、蛇足っぽかった。

 このように、非常に説教くさい映画であった上に、物語の運び方がとても古めかしく、説得力に欠け、非常に稚拙な印象を受けた。いくつか感動的なシーンはあったものの、全体的にはB級映画の烙印を押されてもおかしくないだろう。

 この映画で最も印象に残ったのは、イクバール、チャンドラカーント、ラージパールの三人の写真が、「Wanted」として新聞に掲載されるシーンである。お尋ね者のシャシャーンクと一緒に逃亡したため、彼ら三人もお尋ね者の仲間入りをしてしまったのだ。ところがそれを見て3人組は焦るどころか大喜びする。「今までUnwantedの人生を送って来たワシらが遂にWantedになったぞ!」

 老人三人組を演じたカダル・カーン、プレーム・チョープラー、サティーシュ・カウシクは、三人とも脇役俳優としてインド映画に時々登場する面々である。彼らが主役を務めることは、今後よっぽどのことがない限りないであろう。よって、彼らはここぞとばかりに伸び伸びと演技をしていた。悪党をやっつけたり、警察から逃げ回ったり、ダンスを踊ったり・・・彼らの珍妙な行動がこの映画の最大の見所であろう。

 それに対し、ジミー・シェールギルもいい演技をしていた。ジミーはいつの間にかかなり痩せ細ってしまっており、少し見ただけではジミーだと気付かなかったくらいだ。何か病気を患っているのではないかと不安になってしまう。ヒロインのシェナーズ・トレジャリーワーラーは、「Ishq Vishk」(2003年)でデビューした女優。ほとんど無名の女優であり、無名のまま終わっていきそうだ。

 ミュージカルシーンがいくつか挿入された。ジャグジート・スィンが歌う歌が最も印象的であった。だが、全体的にミュージカルシーンの必要性をあまり感じなかった。

 「Umar」は、「Baghban」や「Viruddh」などと共に、ヒンディー語映画界が高齢者をターゲットにした映画に挑戦し始めていることを示唆しており、その点で興味深い。だが、映画としての完成度は高くない。