Kalyug

1.5

 今日はPVRアヌパム4で、2005年12月9日公開の新作ヒンディー語映画「Kalyug」を観た。ヒンドゥー教の世界観や時間概念によると、世界は「ユグ」と呼ばれる巨大な時間のサイクルを繰り返しているとされる。サティヤユグ(クリト・ユグ)、トレーターユグ、ドワーパルユグ、そしてカリユグ(カルユグ)である。サティヤユグには人間は善と徳で満たされる。トレーターユグになると人間は学習を覚え、神々への供犠を始める。ドワーパルユグでは正義が衰えて人間は災厄に見舞われるようになる。そしてカリユグでは世界は暗黒に包まれ、悪が氾濫する。映画の題名は、このカルユグから来ている。仏教にも末法思想という似た考えがあり、日本人には理解しやすいだろう。

 「Kalyug」の制作と脚本はムケーシュ・バット。監督はモーヒト・スーリー、音楽はアヌ・マリク。キャストは、クナール・ケームー、スマイリー・スーリー、イムラーン・ハーシュミー、ディーパル・シャー、アムリター・スィンなど。

 カシュミールからムンバイーへやって来たクナール(クナール・ケームー)は、父親の死後、ジムで働きながら生計を立てていた。そこへカシュミールの親戚からレーヌカー(スマイリー・スーリー)という名の一人の女の子が訪ねて来る。クナールとレーヌカーはすぐに惹かれ合い、結婚する。二人はハネムーンを草原の中に立つホテルで過ごす。

 幸せな生活が始まろうとした矢先、突然クナールとレーヌカーは警察に逮捕されてしまう。クナールとレーヌカーが初夜を過ごした部屋にはカメラが設置されており、「Indiyaapassion.com」というポルノサイトで配信されたのだった。クナールはポルノサイト運営の首謀者とされる。クナールは弁護士の助けもあり釈放されるが、レーヌカーは屈辱に耐えられず自殺してしまう。

 クナールは、自分の人生を滅茶苦茶にしたポルノサイトの運営者に復讐を誓う。だが、警察も彼らとグルになっていることを見抜いていたクナールは、たった一人で戦うことを決めていた。彼は「Indiyaapassion.com」がスイスのチューリッヒで作られていることを知り、スイスへ渡る。そこで、セックスショップを経営するインド人、アリー(イムラーン・ハーシュミー)と出会い、彼に連れられて、ポルノサイトに登場していたインド人女性アニー(ディーパル・シャー)を探しにシンシティーという怪しげなクラブへ行く。そこで偶然クナールは、スイス通信社の女社長シミー・ロイ(アムリター・スィン)と出会う。実はシミーこそが「Indyaapassion.com」の運営者であったが、このときクナールはまだそれに気付いていなかった。シミーは愛人のヴィクラムに、アニーを殺すよう命令する。

 クナールはヴィクラムに殺されそうになっていたアニーを助ける。クナールはアニーを責めるが、実はアニーも無理矢理ポルノ産業に放り込まれた被害者であった。一方、シミーはアリーを買収してクナールをおびき出そうとしていた。クナールはその誘いに乗ってしまうが、土壇場でアリーはクナールの味方をして彼を助ける。アリーは殺されてしまうが、死ぬ瞬間に、首謀者はシミーであることを明かす。

 クナールは、シミーの娘で母親に憎悪を抱いていたタニヤを味方にし、母親の悪事を世間に公表する。怒ったシミーは拳銃でクナールを殺そうとするが、その前にタニヤがシミーを撃っていた。クナールはレーヌカーの仇を取ると同時に、アジアから女性を誘拐してポルノ映画に出演させ、巨額の富を築いていたポルノ産業の一網打尽に貢献したのだった。クナールはアニーを連れてインドへ帰る。

 人身売買は、武器と麻薬に次ぎ、世界で3番目に大きい密貿易業のようだ。人身売買された少女たちのほとんどはポルノ産業に吸収されていく。「Kalyug」は、インドから少女を買ってブルーフィルムに出演させて金を稼ぐ、国際的ポルノ産業にメスを入れた映画である。しかし、ストーリーの核はインド映画の十八番、復讐劇であり、ポルノ産業の実態も分析が足らなかった。ポルノがテーマのため、際どいシーンがいくつか出て来るが、先日見た「Neal ‘N’ Nikki」(2005年)ほどではなかった。それでも、音楽が素晴らしいためにヒットする可能性は十分にある。

 主演を務めたクナール・ケームーは1990年代に子役として数本の映画に出演しているが、本格デビューはこの「Kalyug」となる。また、序盤ですぐに死んでしまうが、クナールの妻レーヌカー役を務めたスマイリー・スーリーは新人のようだ。この二人が大根役者過ぎた。そこからこの映画の不幸が始まる。舞台は途中で突然スイスに移るが、なぜか関わる人間全てがインド人という都合のいい展開となる。「Indyaapassion.com」を運営するのがスイス通信社の女社長、しかもインド人、という展開にも、あまり説得力のある説明がなされていなかった。同サイトの案内役として登場していたアニーのキャラクターもひねりがなかった。これだけ悪女っぽいイメージで登場しておいて、クナールに捕まった途端お涙頂戴のストーリーを語り出すのはいただけない。しかも最後にはクナールとできてしまうとは・・・。無茶苦茶なストーリーだ。また、アニーを演じたディーパル・シャーは今のところ将来性を感じない。クナールは、シミーの娘のタニヤを「Indyapassion.com」のポルノ動画に出演させて復讐を果たすが、そんなおかしな方法、一体誰が思いつくのか。タニヤは不良娘という設定だが、復讐目的でポルノ映画にわざわざ出演することがあるだろうか?もっとストレートな復讐の仕方があるだろう。最後にはタニヤがシミーを撃ち殺してしまうが、これも後味の悪い印象だけを残した。上映時間は2時間ほど。国際市場を狙ってコンパクトにまとめたのだろう。だが、内容はふつうのインド映画なので、非常に物足らない感じがした。

 映画自体にあまり魅力を感じなかったが、唯一、イムラーン・ハーシュミーが演じたアリーの役だけは光っていた。「Murder」(2004年)でブレイクしたイムラーンを僕は長い間認めていなかった。なぜこんな不細工で気持ち悪い男優が男優をやってるんだろう、と思いつつ過ごしていた。だが、彼の映画を見続けていたら何となく彼に惹かれている自分がいることに気付いた。これは洗脳であろうか、はたまたインド映画の魔法であろうか?「Kalyug」のイムラーンは脇役出演であったが、完全に主役を食っていた。

 間違いなく、この映画の一番の魅力は音楽にある。パーキスターンの有名なカッワーリー歌手、ヌスラト・ファテー・アリー・カーンの甥ラーハト・ファテー・アリー・カーンが歌う「Jiya Dhadak Dhadak Jaye」、「Tujhe Dekh Dekh」や、同じくパーキスターンのバンド、ジャルのボーカリスト、ゴーハル・ムムターズが歌う「Aadat」、インドポップの草分け的存在であるアリーシャー・チノイが歌う「Dheere Dheere」など、聞き所がいっぱいである。歌声はやはりラーハトのものがもっとも素晴らしい。天才的歌手ヌスラトはもう死んでしまったが、ラーハトがいる限り我々は寂しくない、と思わせてくれるほどいい声だ。歌詞では、ゴーハルの歌った「Aadat」がベストだった。イントロ部の歌詞は聞くだけで涙が溢れてくるほどいい――judaa hoke bhi tu mujh mein kahin baaqi hai, palkon mein banke aansu tu chali aati hai(離れ離れになっても君は僕の中のどこかに残っている、目蓋の中で涙になって君はやって来る)。ゴーハルは「Zeher」(2005年)でも「Voh Lamhe」を歌って大ヒットを飛ばしている。どうやら「Aadat」は、ジャルのデビュー曲だったようだ。インターネットで公開した途端に話題を呼び、パーキスターンで最もダウンロードされた曲となったという。パーキスターンのバンドにしては、日本のバンドがよく辿りそうなサクセスストーリーを持っている。アリーシャーの「Dheere Dheere」は、クナールがシン・シティーに潜入するシーンで使われるが、パワー不足だった。「Kalyug」のCDは買って損はない。

 元々この映画の題名は「Blue Film」だったという。多分、本当にブルーフィルムと思われるといけないため、「Kalyug」という無難な題名に変更となったのだろう。微妙にエロチックなシーンは出て来るが、あくまでインド映画レベルに留まっている。扱っているテーマはインドでは目新しいものの、流れは一昔前のインド映画と全然変わらない。俳優の演技もほとんど全滅状態。サントラCDだけ買って済ませておくのが吉であろう。