Taj Mahal: An Eternal Love Story

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Taj Mahal: An Eternal Love Story
「Taj Mahal: An Eternal Love Story」

 インドでは「ハリー・ポッター」シリーズの最新作「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」(2005年)が公開されているが、そんなのには目もくれず、本日(2005年11月18日)公開の新作ヒンディー語映画「Taj Mahal : An Eternal Love Story」をPVRアヌパム4で観た。「Taj Mahal」は文字通り、アーグラーにある世界的観光名所タージマハルにまつわる歴史映画である。

 制作・監督はアクバル・カーン。アクバル・カーンは元々俳優だが、1983年に「Haadsa」という映画を制作・監督しており、本作が2作目となる。音楽はナウシャード。「Mother India」(1957年)や「Mughal-e-Azam」(1960年/2004年)などで有名な音楽監督である。キャストは、カビール・ベーディー、マニーシャー・コーイラーラー、ズルフィー・サイイド、ソニア・ジャハーン、プージャー・バトラー、アルバーズ・アリー、アルバーズ・カーン、キム・シャルマー、ワクール・シェイクなど。ニガール・カーンが特別出演。

 1658年、ムガル朝第5代皇帝シャージャハーン(カビール・ベーディー)の病を機に長男のダーラー・シコー(ワクール・シェイク)と三男アウラングゼーブ(アルバーズ・カーン)の間で王位継承権を巡ってサーモーガルの戦いが勃発、戦いはアウラングゼーブの勝利に終わった。ダーラー・シコーはアウラングゼーブによって処刑され、シャー・ジャハーンは長女のジャハーナーラー(マニーシャー・コーイラーラー)と共にアーグラー城に幽閉されてしまった。

 幽閉の身となったシャージャハーンはジャハーナーラーに、妻ムムターズ・マハルとのなりそめ話を語り始める・・・。

 ジャハーンギール帝(アルバーズ・アリー)の治世、宮廷で皇帝以上に権勢を誇ったのは王妃ヌール・ジャハーン(プージャー・バトラー)であった。ヌール・ジャハーンは、前夫との娘ラードリー(キム・シャルマー)を、ジャハーンギールの長男で後のシャージャハーン、クッラーム王子(ズルフィー・サイイド)と結婚させて完全に実権を掌握しようと画策する。しかし、クッラーム王子は、ヌール・ジャハーンの弟、アースィフ・カーンの娘で後のムムターズ・マハル、アルジュマンド(ソニア・ジャハーン)に惚れていた。ヌール・ジャハーンはそれを阻止するため、アースィフ・カーンを一家共々デカンに左遷する。だが、クッラーム王子はアルジュマンドを追って宮廷を飛び出す。ヌール・ジャハーンはジャハーンギール帝に、クッラーム王子とアースィフ・カーンがクーデターを共謀していると吹き込む。クッラーム王子は捕えられ、宮廷で裁判にかけられる。クッラーム王子は、クーデターを謀っているのはヌール・ジャハーンであると主張し、父親の怒りを買う。ジャハーンギールはクッラーム王子を後継者と目しており、しかもイランの王朝との政略結婚も決めていたので、失望は大きかった。ジャハーンギールはクッラーム王子の禁固を命じ、死刑の可能性も否定しなかった。

 しかし、ジャハーンギールは密かにアルジュマンドのもとを訪れる。ジャハーンギールはアルジュマンドに対し、クッラーム王子と密かに逃げるように言う。ところがアルジュマンドはクッラーム王子が皇帝になることを夢見ており、自分のために王子が王座を明け渡すのを潔しとしなかった。アルジュマンドはクッラーム王子に対し、皇帝の言うことを聞いて政略結婚を受け入れ、許しを乞うように説得する。クッラーム王子はそれを受け容れ、イランの王妃カンダーリー(ニガール・カーン)と結婚する。その2年後の1612年、クッラーム王子はアルジュマンドと結婚する。

 1627年にジャハーンギールが死去するとクッラーム王子はムガル皇帝の座に就き、シャージャハーンを名乗るようになる。また、アルジュマンドはムムターズ・マハルと呼ばれるようになる。シャージャハーンはムムターズをこよなく愛し、ムムターズは毎年のように皇帝の子供を産んだ。しかし14人目の子供を出産した際の産褥熱により、1631年に死去する。悲しみに沈んだシャージャハーンは、ムムターズの遺言を守り、世界で最も美しい愛の記念碑の建設を開始する。この記念碑は20年以上の歳月の後に完成し、タージマハルと呼ばれるようになる。これがシャージャハーンとムムターズ・マハルの永遠の愛の物語であった。

 ムムターズ・マハルの死から40年の歳月が経った。ずっと幽閉され続けていたシャージャハーンは、ムムターズの40回忌にタージマハルを訪れる許可をアウラングゼーブに求める。アウラングゼーブもそれを許可する。しかし40回忌を前にシャージャハーンは息を引き取る。夢の中でムムターズとの再会を果たしながら・・・。

 世界で最も美しい建築物のひとつに必ず挙げられるタージマハルと、その建築の理由となったシャージャハーンとムムターズ・マハルのロマンスを題材にした映画ということで、期待せずにはいられない作品であった。しかし、俳優陣がパッとしないことや、公開が延び延びになっていたことなどから、駄作の臭いもプンプンしていた。だから、正直言って「期待半分、諦め半分」という気持ちで映画館に足を運んだ。映画の評価を一言で表すならば、「映画の完成度は低いが、シャージャハーンとムムターズ・マハルの恋愛はいかに下手な映画でもそれなりに感動できる」といったところか。つまり、映画の力ではなく、シャージャハーンとムムターズ・マハルの史実上の恋愛を映像でなぞることができ、それに感動できる作品である。

 この映画の最大の欠点は、「Mughal-e-Azam」とあまりに筋が似すぎていることだ。「Mughal-e-Azam」は、ムガル朝第3代皇帝アクバルと、その息子サリーム王子(後のジャハーンギール)の間の確執や、サリーム王子と侍女アナールカリーの禁断の恋愛が描かれていた。一方、「Taj Mahal」では、ムガル朝第四代皇帝ジャハーンギールとその息子クッラーム王子(後のシャージャハーン)の確執や、クッラーム王子と家臣の娘アルジュマンドの禁断の恋愛が描かれていた。「Mughal-e-Azam」では、王妃になることを夢見るバハールがサリーム王子とアナールカリーの恋愛を邪魔するが、「Taj Mahal」では王妃ヌール・ジャハーンの連れ子ラードリーがクッラーム王子とアルジュマンドの恋愛を邪魔する。これだけ読んでも分かるように、はっきり言って時代が一世代後に下り、登場人物が入れ替わっただけで、流れは全く一緒である。それだけでなく、「Mughal-e-Azam」では、「Teri Mehfil Mein Kismat Azmakar」のミュージカルシーンで、サリーム王子の前でアナールカリーとバハールが歌合戦を繰り広げるが、「Taj Mahal」では、「Ishq Ki Daastaan」のミュージカルシーンで、クッラーム王子の前でアルジュマンドとラードリーが同じく歌合戦を繰り広げる。こんなところまで似ているので、非常に気が滅入ってしまう。

 歴史映画ではセットや衣装などの時代考証も重要な評価対象となる。「Taj Mahal」のセットはかなり豪華できらびやかであったが、重厚さがなく安っぽい印象が拭えなかった。「ケバケバしい」という言葉が一番当てはまるかもしれない。ちなみにロケの大部分はジョードプルのメヘラーンガル砦で行われたようだ。また、衣装もムガル朝時代の細密画でよく見るような服装が再現されていたが、やはり説得力に欠け、どちらかというと「スター・ウォーズ」シリーズに出て来る衣装を彷彿とさせてしまっていた。アミダラ姫とか。クッラーム王子を初めとして、多くの男性登場キャラが長髪だったので、ちょっと少女漫画っぽい印象も受けた。ただ、戦争シーンの迫力はなかなかのものであった。特に冒頭のサーモーガルの戦いのシーンは秀逸。

 セットや衣装がケバいのはいいとしても、権謀術数渦巻く宮廷内の人物描写に迫真性がないのが痛い。特にヌール・ジャハーンとラードリーのコンビがやっていることは全く子供じみていて馬鹿馬鹿しいの一言に尽きる。クッラーム王子とアルジュマンドの逢引きを必死になって邪魔するシーンなどは最も盛り下がる場面である。

 ナウシャードの音楽も精彩を欠いた。本当に「Mughal-e-Azam」の音楽を作曲した人物だろうか、と思うほどつまらない曲だらけであった。歴史映画なのに中途半端にモダナイズされた音楽だったのが原因なのではないかと思う。ダンスも印象に残るものがなかった。

 数ヶ所でCGが使われていたが、映画の質を低下させてしまうほど幼稚なレベルのものだった。いっそのことCGは一切使わなかった方がよかった。あの鹿、あの船、いったい何がしたかったのか訳が分からない。インド映画はまだまだCGの使い方が未熟だ。ハリウッドの足元にも及ばない。

 だが、それらの欠点が考慮しても、ムムターズが死んでしまうシーンや、シャージャハーンが生と死の狭間の朦朧とした意識の中、タージマハルの前で純白の服を着たムムターズと再会を果たして抱擁するシーンなどはグッと来てしまう。ムムターズの遺言に従い、20年以上の歳月と国が傾くほどの莫大な予算をかけて愛の記念碑を造らせたシャージャハーンの愛情と悲しみの深さは、人々の心を無条件で動かす力がある。ただ、シャージャハーンは幽閉中、ムムターズと瓜二つだった娘のジャハーナーラーと愛人関係にあったと言われている。

 俳優陣はあまり有名でない人が多く、パッとしない。一番一般に知られているのはマニーシャー・コーイラーラーであろう。久々にスクリーンで見たが、美しさが際立っていてけっこういい感じだった。衣装の関係上、あまりお腹を見せずに済んだことも幸いしたと思われる。演技で最も光っていたのは、「お局様」ヌール・ジャハーンを演じていたプージャー・バトラーである。1993年のミス・インディアであり「Virasat」(1997年)の大ヒットで注目を浴びた女優だが、最近のヒンディー語映画界ではあまり存在感がなかった。怒ったときの目の開き具合が怖すぎだったが、いい演技をしていた。アルジュマンドまたはムムターズ・マハルを演じたソニア・ジャハーンは、なんと伝説的女優ヌール・ジャハーンの孫娘である。ヌール・ジャハーンは英領時代のインドの映画界を代表する大女優である。歌も歌えて演技もできたのだが、印パ分離独立に伴ってパーキスターンに移民してしまった。彼女の移民により、インドの映画界では歌を歌える女優がいなくなってしまい、代わりにラター・マンゲーシュカルなどのプレイバック・シンガーの台頭へとつながっていったという背景がある。ところでソニア・ジャハーンはフランス生まれのフランス育ちだそうだ。だが、絶世の美女と言われるムムターズを演じるには、美貌の点でちょっと役不足だったように思えた。若き日のシャージャハーンを演じたズルフィー・サイイドは、少女漫画に出て来る男の子みたいな甘いマスクをした若手男優であるが、演技力はしっかりしたものを持っていた。ラードリーを演じたキム・シャルマーは、どうも現代映画と歴史映画を取り違えているように感じた。表情の使い方が「現代のわがままっ子」という感じで気品に欠けていた。どうせなら、もっと有名な俳優でこの映画を撮ってもらいたかった。シャー・ジャハーンはアビシェーク・バッチャンとアミターブ・バッチャンが演じ、ムムターズ・マハルはもちろんアイシュワリヤー・ラーイ。ヌール・ジャハーンはマードゥリー・ディークシトとか。

 冒頭では「ヒンディー語映画」として紹介してしまったが、この映画の言語は完全なるウルドゥー語である。「Mughal-e-Azam」は重厚な演劇調のウルドゥー語のセリフであり、時代を感じさせたが、「Taj Mahal」もそれとあまり変わらない古風で演劇調な純ウルドゥー語だった。インド人観客から「何言ってるか訳が分からん」という声も上がっていたほどである。言語の面でもムガル朝の宮廷の雰囲気を出したい気持ちは分かるが、これほどまでコテコテのウルドゥー語にしてしまう必要があるのか、時々疑問に思う。これでは一般大衆は理解できないだろう。だが、セリフの中にはいくつか美しいものもあった。例えば、ヌール・ジャハーンがアルジュマンドとの禁断の恋愛に関してクッラーム王子に対し「印章の押された命令に背くことは許されない」と叱ると、クッラーム王子はヌール・ジャハーンとラードリーの前で堂々とアルジュマンドにキスをし、「愛の印章が一度押されてしまったら誰にも止めることはできない」と言い返すシーンがあった。そういえばマニーシャー・コーイラーラーが案外きれいなウルドゥー語をしゃべっていて驚いた。

 映画中では、ムムターズ・マハルの40回忌の前日にシャージャハーンが死去することになっているが、史実ではシャージャハーンが死んだのは1666年であり、ムムターズの死から35年後である。

 「Taj Mahal: An Eternal Love Story」は微妙な映画である。タージマハルが好きな人や、タージマハルにまつわる物語を知りたい人は観る価値があると思う。ウルドゥー語やムガル朝の雰囲気が好きな人にもオススメである。だが、ひとつの作品として観ると非常に弱い映画なのは否めない。ヒットも望めなさそうだ。