Dil Jo Bhi Kahey…

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 今日はPVRプリヤーで、2005年9月23日公開の新作ヒンディー語映画「Dil Jo Bhi Kahey…」を観た。話題作になると予想して予め席を予約して見に行ったのだが、映画館はガラガラだった。そして驚くべきことに、この客入りは如実に映画の質を象徴していた。この映画は今日が初日なのに、なぜインド人は公開前からこの映画がつまらないことが分かったのだろうか・・・インド映画を4年以上見続けているが、この点は未だに謎である。

 「Dil Jo Bhi Kahey…」とは、「心が何と言おうとも・・・」という意味。監督はローメーシュ・シャルマー(新人)、音楽はシャンカル・エヘサーン・ロイ。キャストは、アミターブ・バッチャン、レーヴァティー、ブーミカー・チャーウラー、カラン・シャルマー(新人)、アンナベル・ワリス(新人:英国人)、マヌジ・グラーティーなど。

 インド系モーリシャス人のジャイ(カラン・シャルマー)は、留学中のストックホルムで、英国系モーリシャス人女性、ソフィー(アンナベル・ワリス)と出会い、恋に落ちる。しかし、モーリシャスでは白人とインド人の間で確執があり、二人の仲がお互いの両親によって公認されるのは不可能と言ってよかった。それでも2人は愛があれば何でも乗り越えられると信じ、留学期間を終えてモーリシャスに帰った後もデートを重ねる。

 ジャイとソフィーは結婚の承認をもらうため、お互いの両親を引き合わせることにする。ところが、ソフィーの父親はインド人を差別しており、ジャイの母親サンディヤー(レーヴァティー)は白人の文化を受け容れることができなかった。ジャイの父親シェーカル(アミターブ・バッチャン)はジャイとソフィーの結婚を後押ししたかったが、それは失敗に終わった。

 そこでジャイとソフィーは駆け落ち結婚することを決める。ところが、結婚の日に母親サンディヤーが倒れて入院してしまい、またジャイは、父親シェーカルがソフィーの父親の圧力によって、勤めていた銀行からクビにされてしまったことを知る。自分の我がままのために家族が滅茶苦茶になることに責任を感じたジャイは、ソフィーとの駆け落ち結婚を諦める。教会で一人ジャイを待っていたソフィーは、ジャイに裏切られたことを知りショックを受ける。

 サンディヤーは何とか一命を取りとめる。サンディヤーの主治医は、インドから来たガーヤトリー(ブーミカー・チャーウラー)という女医であったが、サンディヤーは彼女のことを気に入り、ジャイと結婚するよう説得する。ガーヤトリーはジャイに惚れており、失意の中にあったジャイもそれを受け容れてしまう。ジャイとガーヤトリーの婚約式も終わり、もうすぐ結婚式だった。ところがそのとき、ソフィーが妊娠していることが発覚する。ガーヤトリーも、ジャイが本当はソフィーのことを愛していることを知る。ガーヤトリーはジャイの両親を説得し、ソフィーとの結婚を認めるように頼む。最後まで固辞していたサンディヤーも遂に2人の結婚を認める。また、ソフィーの父親も彼女の妊娠を機に2人の結婚を認める。

 こうしてジャイとソフィーの結婚は決まった。しかし実は、ソフィーが妊娠したという話は、ジャイとソフィーを結婚させるためにガーヤトリーが作った嘘だった。シェーカルはその嘘を知ってしまうが、「聞かなかったことにしよう」と粋なところを見せる。

 インド洋に浮かぶ島国モーリシャス。インドの西南にあるモルディヴと間違える人が多いのだが、モーリシャスはマダガスカル島の東方にある国である。モーリシャスは元々オランダ領で、その後フランス領となり、1814年から英国領となった。19世紀末から20世紀初頭まで、多くのインド人がプランテーションの契約労働者として連れて来られたため、今では人口の約7割がインド系である。「Dil Jo Bhi Kahey…」は、英国系モーリシャス人とインド系モーリシャス人との間の禁断の恋がテーマとなった、一風変わったインド映画である。ただ、外見が変わっているだけで、中身は「ロミオとジュリエット」のような典型的恋愛映画である。

 この映画は、ローメーシュ・シャルマー監督自身がモーリシャスのTV局のために制作したフランス語のTVドラマ「C’est La Vie」が基になっている。「Dil Jo Bhi Kahey…」でヒンディー語映画デビューしたカラン・シャルマーが、「C’est La Vie」でも主演を務めたようだ。ちなみにカラン・シャルマーは、ローメーシュ・シャルマー監督の息子である。

 僕は昔、フィジーのインド系移民の研究に片足だけ突っ込んでいたことがあるので、同じくインド系移民が多いモーリシャスを舞台にしたこの映画は興味深かった。フィジーでは、フィジー人とインド人の間の確執が時々表面化することがある。フィジー人は、「フィジーはフィジー人のもの」という意識が強く、政治的実権や文化的実権に固執する一方で、経済的実権は経済活動に長けたインド人が完全に握っているため、社会に歪みが生じている。僕がフィジーを訪れた2000年は、ちょうどフィジー人のジョージ・スペイトが、インド系移民で初めて首相になったマヘーンドラ・チャウドリーらを国外追放してクーデターを起こした直後の混乱時であった。首都のスバでは散発的な暴動が発生しており、僕は暴動の影響が少ない田舎町や村で細々と調査したり遊んだりしていた。フィジーのインド人は、フィジー人による差別に耐えかねてどんどんオーストラリアやニュージーランドに移住してしまっており、インド系移民の人口比は減少して来ている。ただ、近所付き合いのレベルでは、フィジー人とインド人は割と仲良くやっているのも見逃してはならない。一方、「Dil Jo Bhi Kahey…」では、モーリシャスでの白人系移民とインド系移民の間の確執が描かれていた。特にソフィーの父親は、インド系移民を今でも奴隷同然に扱っていた。また、ジャイの母親は、インド本国と同じようにジャイの結婚相手のカーストのことを非常に気にしていたのも印象的だった。フィジーにはカースト意識はほとんど見受けられなかったが・・・。現代のモーリシャスに果たしてこのような差別意識やカースト意識が残っているのかは知識不足のため不明である。ちなみに、モーリシャスは元々無人島だったようで、フィジーのフィジー人のような原住民意識を持った人々はいないようだ。また、ジャイの名字はスィナーと言うが、これはビハール州に多い名字である。フィジーやモーリシャスに連れて来られたインド人契約労働者は、ほとんどがビハール出身だったようだ。現在フィジーで話されているヒンディー語は、ビハール州のボージプリー方言に近い言語である。ジャイが母親に対して、「どうして俺たちの祖先はインドからこんなところに移民して来たんだ!?」と叫ぶシーンがあるが、インド系移民の若い世代は本当にそういう意識も持っているのだろうか、ふと疑問に思った。フィジーのインド人や、インドに留学しに来ているインド系のフィジー人、モーリシャス人、トリニダード・トバゴ人などと話した感想では、彼らはインドに自分のルーツを求めている一方で、インドよりも社会的束縛が少なく、経済的に豊かなフィジー、モーリシャス、トリニダード・トバゴなどで生まれたことに誇りを持っているように感じた。

 さて、映画の評に戻るが、はっきり言ってこの作品は、舞台をモーリシャスに、家族をインド系移民と白人に置き換えただけで、話の本筋はインド映画で使い古された「ロミオとジュリエット」型の恋愛映画であった。つまり、若い男女が、家族の反対、伝統的価値観、宗教の差、貧富の差などを乗り越えて結婚を実現させるというプロットの映画である。そういう観点で見ると、「Dil Jo Bhi Kahey…」には決定的な欠点があった。それは、主人公のジャイが、「全てを犠牲にしてでも愛を勝ち取る気概を持った愛の勇者」ではなかったことである。ジャイは、発作を起こして入院した母親や、銀行をクビになってしまった父親を気遣って、ソフィーとの結婚を諦めてしまった。ジャイとソフィーの結婚を実現させたのは、ジャイの親友のガウラヴ(マヌジ・グラーティー)のおせっかいなまでの努力であり、ガーヤトリーの自己犠牲であった。インド映画に必ず必要な、恋に身を焦がしたヒーローの闘争がほとんど見受けられなかった。ただ、ジャイは無言のままであった。

 また、ジャイとソフィーの結婚を容易にしたのは、ソフィーの妊娠であった。ありきたりと言えばありきたりだが、話のまとめ方としては悪くなかった。ところが最後のシーンで、ソフィーの妊娠は実は嘘であったことが発覚する。別に嘘にしなくてもよかったと思うのだが、これはできちゃった結婚に否定的な「インド映画の良心」が働いたためであろうか?

 カラン・シャルマーは、織田祐二にちょっと似た長身の男優である。アミターブ・バッチャンと並ぶとその長身がよく分かる。なんと身長191cmのバッチャンよりも背が高い。カランはデビュー作にしては無難な演技をしていたと思う。今後も、背の高さを活かした役ができそうだ。ヒロインのアンナベレ・ワリスもかわいくてよかった。ブーミカー・チャーウラーは脇役に甘んじていたが、ジャイの両親を説得するシーンで彼女の演技力が光っていた。アミターブ・バッチャンはいつもと比べてちょっとパワー不足だったかもしれない。それよりもサンディヤーを演じたレーヴァティーの方が好演していた。

 音楽はシャンカル・エヘサーン・ロイ。タイトルソングの「Dil Jo Bhi Kahey…」はギターの音色が耳に心地よい名曲。シェーカルがジャイに人生と恋の指南をする「Mere Munna」は、「Mere munna, zara sunna, baat itni baap ki…(息子よ、ちょっと聞きなさい、父親の話を・・・)」という歌詞だけがよかった。ホーリーのミュージカル・シーンで流れる「C’est La Vie」などは、南国風の音楽とインドのお祭り音楽の融合が面白かった。

 あと、シェーカル役のアミターブ・バッチャンが言う、「Dil sochta nahin, sirf dharkta hai(心は考えたりしない、ただ鼓動し、ときめくだけだ)」というセリフが一番よかった。

 言語は、英語のセリフの比率が他のインド映画よりも多かった。モーリシャスでは英語が公用語で、ソフィーらはヒンディー語がしゃべれないという設定だから仕方ない。英語のセリフが多いシーンでは、ヒンディー語のナレーションが入る配慮がなされていた。また、モーリシャスではフランス語も話されており、「ボンジュール」程度のフランス語も時々出てきた。

 モーリシャスを舞台にした「Dil Jo Bhi Kahey…」は、見てくれは一風変わったインド映画だが、その実は典型的インド映画である。また、アミターブ・バッチャン以外は有名な俳優が出ていないため、話題性も少ない。モーリシャスに思い入れのある人以外、特に無理して観るべき映画ではない。