Ramji Londonwaley

4.0

 本日(2005年9月2日)から一気に4本の新作ヒンディー語映画が公開された。まずは今週最も客入りがよさそうだった「Ramji Londonwaley」を観に行った。「Ramji Londonwaley」とは、「ロンドンっ子、ラームジー」という意味。タミル語映画の「Nala Damayanthi」(2003年)のリメイクである。監督は、「Lagaan」(2001年)の助監督を務めたサンジャイ・ダイマー、脚本はカマル・ハーサン、音楽はヴィシャール・バールドワージ。キャストは、マーダヴァン、サミター・バンガルギー、サティーシュ・シャー、ラージ・ズトシー、アーディティヤ・ラーキヤー、ハルシュ・チャーヤーなど。アミターブ・バッチャンが特別出演。

 ビハール州の片田舎ターキープル村に住むラームジー(マーダヴァン)は、両親亡き後一人で妹パールワティーの面倒を見てきた。彼の趣味と特技は料理であった。ラームジーの作る料理は人を虜にする力があった。妹の結婚式の日、ラームジーは自ら料理を作って来客に振舞う。だが、花婿側の要求するダウリーを払いきることができなかったラームジーは窮地に陥る。そのとき、結婚式会場に来ていた主賓がラームジーの料理の腕に感服し、ロンドンに住む親戚の家で料理人として働くことを提案する。給料は月400ポンド(約32,000ルピー)、ビハール州の村人たちにとっては目が飛び出るほどの大金であった。それを聞いた花婿側は態度を豹変させ、ラームジーを無理矢理ロンドンに送ることにし、毎月仕送りを送るよう約束させる。こうして、英語もろくにしゃべれないラームジーはロンドンへ行くことになってしまった。

 慣れない飛行機の旅を終え、ラームジーはロンドンに到着する。早速雇い主の家へ向かうが、ちょうどそのとき雇い主の葬式が行われているところだった。ラームジーはいきなり職を失ってしまう。しかもパスポートが入ったバッグを盗まれてしまい、路頭に迷う。だが、知能障害児のソーヌーの命を救ったことにより、その両親と仲良くなり、その家に居候させてもらうことになる。

 ソーヌーの父親グル(ハルシュ・チャーヤー)はインド料理レストランで働いていた。ラームジーの料理の腕を知ったグルは、ラームジーを厨房で働かせる。たちまちの内にレストランは大繁盛となり、経営者のジャイ(ラージ・ズトシー)も大喜びする。ところが、最大の懸念は、労働許可証を持っていないラームジーの違法就労であった。

 とうとうラームジーが労働許可証を持っていないことが警察にばれてしまった。警察はジャイとグルに対し、3日後までに労働許可証を提出するよう求める。困った二人は、ラームジーを英国人と結婚させる土壇場の作戦に出る。ジャイは、英国籍を持っているインド系移民のフィアンセ、サミーラー(サミーター・バンガルギー)をラームジーと偽装結婚させ、窮地を切り抜ける。サミーラーはラームジーが大嫌いだったが、ジャイの頼みということで渋々それを受け容れたのだった。

 それでも警察はラームジーに対する疑いを解かなかった。警察は、ラームジーとサミーラーの家に移民管理局員(サティーシュ・シャー)を送り込む。ラームジーとサミーラーは何とか取り繕うが、移民管理局員の合格を得ることはできず、2週間後に二人は再度面接を受けることになった。もし失格となれば、みんな投獄されてしまう事態もありえた。ラームジーとサミーラーは、馴れ初め話をでっち上げたり、お互いの身辺事情について勉強し合ったりして、次第に接近して行った。最初はラームジーのことを田舎者だと馬鹿にしていたサミーラーも、彼の純粋で優しい心と料理の腕に惚れてくる。また、サミーラーはジャイがバツイチで子持ちだという秘密を知ってしまい、ジャイに愛想をつかす。サミーラーに捨てられたジャイは、今度はラームジーをインドに送り返すために躍起になる。

 一方、ラームジーの村では事件が起こっていた。ロンドンからの仕送りが途絶えたことにより、パールワティーが家から追い出されてしまう。彼女は幼馴染みのパップー(アーディティヤ・ラーキヤー)の家に匿われる。パップーは実はパールワティーを恋しており、彼女と結婚することを決める。それを知ったラームジーは喜ぶ。また、サミーラーはジャイとの共同口座に入っていた金を全てパップーに送る。

 面接の日、万全の体勢で望んだ二人であったが、ラームジーはつい口を滑らせてしまい、結婚が偽装であることがばれてしまった。ラームジーは手錠をかけられ、本国へ強制送還されることになった。ところがそのとき、ラームジーが以前参加した万国料理コンテストで優勝したことが分かる。ラームジーは一流レストランのシェフになる権利を与えられた。レストランのオーナーはインド大使館と連絡を取って、ラームジーを解放させる。ラームジーはこのまま英国に住めることになった。だが、多額の賞金が得られることが分かったラームジーは、家族の待つ村に帰ることを決意する。サミーラーもラームジーの後を追ってインドへ行く。

 10ヶ月後、ターキープル村ではラームジーのレストランがオープンしようとしていた。その開店式にはロンドンの仲間たちも駆けつけた。さらに驚きのプレゼントとして、何とその場には、ラームジーが敬愛するアミターブ・バッチャンが訪れたのだった。

 ビハール州出身の田舎者がロンドンへ行くという筋を聞いたとき、てっきり「Ramji Londonwaley」はコテコテのコメディー映画かと予想していたが、蓋を開けてみれば「Munna Bhai M.B.B.S.」(2003年)の爆笑と感動再び、という感じの、笑いと涙がバランスよく調合された優れた映画だった。2005年の傑作映画のひとつに数えることが可能だろう。

 爆笑シーンは前半、感動シーンは後半に集中していた。お笑いネタで観客の心を映画に引き込んで、感動の涙と共に解放するような、うまい展開だった。そして何より、インドの田舎に住む人々の純朴さの描写が、普段わがままな都市中産階級に囲まれて暮らしている僕の心を打った。

 最初の爆笑シーンは、何と言っても飛行機の中のシーンだ。インドの列車では、乗客が盗難防止のために荷物を椅子などにチェーンでくくりつけたりするが、飛行機に初めて乗ったラームジーは、それと同じ感覚で座席にバッグをチェーンで結びつける。ラームジーが一番困ったのがトイレである。ラームジーは洋式のトイレなど見たこともなかったのだ。「ちょっと上過ぎないかな」とつぶやきながら、ラームジーは便座に足を乗せて座り込む。これはあながちフィクションではない。インドでは洋式便器の便座の上に足跡が残っていることがけっこうあるし、便座の部分に足の乗せるようになっているデザインの印洋折衷便器まである。ひとまず用を足したラームジーであったが、はて困った。ローター(カップ)がないのだ。インドの便所には必ずローターが置かれており、それで局所に水を掛けるようになっている。だが、飛行機の中のトイレにそんなものが置かれているはずがない。じっと閉じこもっていると、スチュワーデスから呼びかけられる。「紙を使って処理して下さい」と言われたラームジーは、「紙はサラスワティー女神だ。それで尻を拭くなんてできない」と拒否するが、そうするより他に方法がないので、仕方なく紙で尻を拭いて出てくる。もちろん大爆笑だったが、それと同時にラームジーのセリフに驚いた。インド人がトイレの後処理に紙を使わないのは、紙を学問と芸術の女神と同一視している信仰に基づくものだったと初めて知ったからだ。英領インド時代、インド人は数々の抑圧を英国人から受けたが、インド人が最も嫌がったのは、トイレの後処理に紙を使う英国人のトイレ文化だったという説を聞いたことがある。

 感動するシーンも多いが、得に最後のシーン、インドに強制送還されそうになっていたラームジーが滞在許可をもらったときの彼のセリフがグッと来た。英国に住み続ければ快適な生活が保障されたラームジーだったが、故郷の村に帰ることを決意する。「人は人生の中で、愛と責任を天秤にかけて選ばなければならないときがある。愛しいものは、離れていてもまぶたを閉じれば浮かんでくるが、責任からは逃げることができない。俺は愛よりも責任を選ぶ。」こう言い残してラームジーはロンドンを去る。

 サミーラーがラームジーに心を開いていく様も自然に描写されていた。サミーラーとラームジーの出会いはパーティーにおいてだったが、塩加減を巡って二人の仲は険悪となってしまった。ひょんなことから偽装結婚することになった二人は、警察や移民管理局員の目をごまかすために仲の良い夫婦を演じるようになる。最初は嫌々ラームジーに付き合っていたサミーラーも、家事や料理をきちんとこなすラームジーに「理想の旦那さん」を感じ、フィアンセのジャイと比べ始める。やがてジャイの過去の秘密がばれ、サミーラーの心は完全にラームジーのものとなる。

 マードヴァンはタミル映画界のトップスターだが、北インドではまだまだ無名に近い存在の男優である。「Rehnaa Hai Terre Dil Mein」(2001年)や「Dil Vil Pyar Vyar」(2002年)などのヒンディー語映画に出演していたのが記憶に新しいが、あくまでヒンディー語映画ファンの間では「南インドの俳優」としての認識が強い。だが、今回の役はその観念を打ち破ることになったのではなかろうか?マーダヴァンはビハールの田舎コックを演じたが、南インド人とは思えないほどの流暢なビハーリー語に驚いた。それもそのはず、マーダヴァンはジャールカンド州(元々ビハール州の一部)のジャムシェードプル生まれの南インド人であり、ヒンディー語やビハーリー語は「ネイティヴ」なのだ。

 ヒロインのサミター・バンガルギーは、「Yeh Kya Ho Raha Hai?」(2002年)や「Shaadi Ka Laddoo」(2004年)に出演していた女優であるが、やはり彼女も無名に近い女優だ。コーンコナー・セーンシャルマーに似た顔をしている。無難な演技をしていた。

 最後にアミターブ・バッチャンが特別出演したのには驚いた。ここのところアミターブ・バッチャンばかり映画に出ているような気がする。「Kaun Banega Crorepati 2」(クイズ・ミリオネアのインド版、アミターブ・バッチャンが司会)も始まったことだし、「老いてなお盛ん」とは彼にピッタリの言葉だ。かつて「ワンマン・インダストリー」と揶揄されるほどのカリスマを誇ったアミターブ・バッチャンは、今でもそのワンマン振りを維持していると言っていい。最近は3本に1本の割合くらいでアミターブ・バッチャンが何らかの形で出演しているような気がする。

 音楽はヴィシャール・バールドワージ。冒頭の「Ramji Ke Paas Sab Ke Liye Masala」と、2曲目の「London London」を除き、いい曲、いいミュージカルがなかった。無理にミュージカルを入れなくても成立した映画だと思った。

 ラームジーのしゃべる言語は、前述の通り、テート(純)ビハーリーであるため、標準ヒンディー語だけの知識では聴き取るのが少し困難だろう。大部分はロンドンが舞台になっているため、英語も頻繁に出てくる。英語とビハーリー語の対決は面白すぎる。

 おそらく今年最高の感動コメディー映画のひとつに数えられることになるであろう「Ramji Londonwaley」。「インドはインド人がいなければ、いい国」という人もいたりするが、これを観るとインド人――故郷を失った都市中産階級ではなく、田舎に生まれ、田舎に育ち、田舎と何らかの形で心の関係を持っているインド人――の良さを発見または再発見できるだろう。


https://www.youtube.com/watch?v=0JCNWi-maJQ