Khamosh Pani (Pakistan)

4.0

 今日はPVRアヌパム4でパンジャービー語映画「Khamosh Pani : Silent Waters」を見た。この映画はパーキスターン、フランス、ドイツが共同制作したもので、去年のロカルノ国際映画祭で金豹賞を獲得して話題になった。フランスでは既に2004年2月25日に劇場一般公開されている。監督はザービハ・スマルというパーキスターン人女性監督。しかしながら、主演はインドの俳優である。言語は9割以上パンジャービー語で、時々ウルドゥー語が入る。英語字幕入りなので理解に支障はなかった。

 「Khamosh Pani」とは英語の副題通り、「静かなる水」という意味である。監督はザービハ・スマル、キャストは、キラン・ケール、アーミル・マリク、シルパー・シュクラ、ナヴテージ・ジャウハルなど。

 1979年、パーキスターン、パンジャーブ州チャルキー村。アーイシャー(キラン・ケール)は、一人息子のサリーム(アーミル・マリク)が仕事もせずにブラブラしているのを心配していた。アーイシャーは決して村外れにある井戸には行かず、友人に水を届けてもらっていた。

 ある日、村に2人の若者がやって来て、イスラーム原理主義を説き始める。それに共感したサリームと親友のアミンは、次第に排他的な原理主義に染まっていく。サリームの恋人だったズベーダー(シルパー・シュクラ)は、彼の行動に不安を感じながらも何もすることができなかった。政界ではズールフィカール・アリー・ブットー前首相は処刑され、ズィヤーウル・ハク首相のイスラーム化政策が進行していた。

 そんなとき、印パ間の協定に基づき、チャルキー村にインドからスィク教徒の巡礼者がやって来た。巡礼者の中に混じってやって来たジャスワント(ナヴテージ・ジャウハル)は、1947年印パ分離独立時に生き別れとなった姉ヴィーローを探しに来ていた。印パ分離時、インドへ移住せざるをえなくなったチャルキー村のスィク教徒たちは、女性たちの貞操を暴徒化したムスリムから守るため、自分の妻や娘を井戸に落として殺したのだった。しかしヴィーローだけはそれから逃れ、そのままどこかに隠れ住んでいたのだった。ヴィーローの存在は村のタブーだったが、やがてジャスワントはアーイシャーが姉ヴィーローであることを突き止める。

 アーイシャーが実はスィク教徒であることを知って一番ショックを受けたのは、イスラーム原理主義に染まっていた息子のサリームだった。サリームは仲間たちから糾弾され、アーイシャーは村人たちから白い目で見られるようになる。それに耐え切れなくなったアーイシャーは、井戸に身を投げて自殺してしまう。

 2002年、ラホールで働いていたズベーダーは、イスラーム原理主義の政治家となったサリームをTVで見かける。

 1947年の印パ分離独立の悲劇を描いた映画は数多くあり、それに伴う女性の悲劇も、アムリター・プリータム原作の映画「Pinjar」(2002年)などで描かれているが、この映画ほど心に重くのしかかるタッチの映画は今までなかったのではないかと思う。分離独立の悲劇に加え、イスラーム原理主義に染まっていく農村の若者たちの現状も、当時の政治情勢と絡めながら語られており、非常に見る価値のある映画となっていた。

 題名の「静かなる水」とは、村の郊外にある井戸のことだ。度々井戸の映像が映し出され、井戸に決して行かないアーイシャーの謎が観客を不思議がらせ、またアーイシャーの記憶が白画面のフラッシュバックとなって挿入されるが、終盤までその意味は明かされない。全てが明らかになるのは、スィク教徒の巡礼者が村にやって来てからで、事実は恐るべきものであった。印パ分離独立時、パーキスターン側にいたヒンドゥー教徒とスィク教徒はインドへ、インド側にいたイスラーム教徒はパーキスターンへ移住したが、この移動は大量殺戮の悲劇を生み、印パ双方に多大な犠牲と悲劇をもたらしてしまった。その中で、立場の弱かった女性はさらに弱い立場に追い込まれ、殺される者、レイプされる者の他、家族と離れ離れになって置き去りにされてしまったり、自殺を強要されたりする者も少なくなかった。「Pinjar」では、ムスリムに誘拐されて無理矢理結婚させられ、分離独立後はパーキスターン側に残ってしまったヒンドゥー教徒の女性が主人公だった。「Khamosh Pani」では、自殺を強要されながらも逃れ、ムスリムの若者に救われて結婚し、そのままイスラーム教徒としてパーキスターン側に住み続けたスィク教徒の女性が描かれていた。この女性の悲劇に、イスラーム原理主義に傾倒する息子の姿が重ねあわされていた。

 ヒンドゥトヴァ(ヒンドゥー原理主義)でもイスラーム原理主義でも、その根幹にあるのは宗教問題でも何でもなく、はっきり言って就職問題と貧困問題である。行き場のない若者たち、将来に希望を持てない若者たちが、宗教を政治に利用しようとする政治家に利用されて排他的な思想を植えつけられ、やがて暴力事件を引き起こすようになる。この状況は日本でもそう変わりはないだろう。封建制社会では、生まれながらに職業や身分の制約を課せられながらも、親の仕事をそのままやっていれば失業することはないという保証があった。しかし封建制度が崩れ、民主主義的また資本主義的社会になってからは、職業選択の自由やある程度の平等は保証されながらも、上記のようなまた別の問題が発生するようになってしまった。宗教の原理主義化も、それらの問題と無関係ではない。「Khamosh Pani」でも、昔ながらの生活を送っていた一般的な村人たちは非常に宗教に寛容であり、政治にも冷めた考えを持っていたが、都会からやって来たイスラーム原理主義者たちの説得と脅迫により、またそれに感化された村の若者たちの影響により、次第に排他的な行動を取るようになってしまう。

 俳優陣は皆、素晴らしい演技をしていた。特に主演のキラン・ケールは貫禄の演技。キラン・ケールは「Devdas」(2002年)や「Veer-Zaara」(2004年)などの大作に出演しており、最近さらに存在感を増しているように感じる。サリーム役のアーミル・マリクは「Yeh Kya Ho Raha Hai?」(2002年)でデビューした若手だが、大人の演技をしていた。ズベーダー役のシルパー・シュクラはどうやら新人のようだが、あまり映画向きの顔ではないように思える。

 言語はほとんどパンジャービー語。ヒンディー語と似ているので何となく分かる部分もあるが、英語字幕があるので何とか付いていけた(字幕、特に英語字幕を見ながら映画を鑑賞するのは苦手だ)。パーキスターンの国語はウルドゥー語だが、最大の母語話者を誇る言語はパンジャービー語である。映画中、演説やTV放送などの言語はウルドゥー語だった。

 映画賞を受賞したほどの映画なので、僕が薦めるまでもなくオススメの映画である。