Aitraaz

4.0

 2004年のディーワーリーは映画祭となった。インドの一般的な映画公開日となっている金曜日にディーワーリーが重なり、しかも次週の月曜日がイードとなったため、野心的な映画制作者たちがこの日に自信作をぶつけてきたのだ。ロマンスの帝王ヤシュ・チョープラーは「Veer-Zaara」を、ヒンディー語映画界の暴れん坊ラーム・ゴーパール・ヴァルマーは「Naach」を、スター発掘家スバーシュ・ガイーは「Aitraaz」を11月12日に公開し、そしてそれに古典的傑作「Mughal-e-Azam」のリバイバル版の公開が重なった。公開から既に10日が過ぎているので、これらディーワーリー4の勝敗もだいぶ明らかになってきた。興行収入で独走態勢を取っているのは大方の予想通り「Veer-Zaara」。それを追うのは「Aitraaz」で、特にムンバイーで高い集客力を見せた。3位は「Mughal-e-Azam」だが、各地で満席御礼が続出しており、ロングランしそうな雰囲気。残念ながら「Naach」は最下位となり、失敗作の烙印を押されてしまった。だが、批評家の間でも評価が分かれており、決してつまらない映画ではない。

 今日はディーワーリー4の中で唯一まだ見ていなかった「Aitraaz」をPVRアヌパム4で観た。4本の映画の内、一番普通のインド映画っぽかったので後回しにしたのだが、案外ヒットしているので見る気になった。女性によるセクシャルハラスメントがテーマの大人の映画である。

 「Aitraaz」とは「反対」という意味。プロデューサーはスバーシュ・ガイー、監督はアッバース・マスターン、音楽はヒメーシュ・レーシャミヤー。キャストは、アクシャイ・クマール、カリーナー・カプール、プリヤンカー・チョープラー、アムリーシュ・プリー、アンヌー・カプール、パレーシュ・ラーワルなど。

 携帯電話会社に勤めるラージ・マロートラー(アクシャイ・クマール)は、住所を間違えて家にやって来たプリヤー(カリーナー・カプール)に一目惚れし、結婚する。やがてプリヤーは妊娠し、ラージは家を購入する。

 会社では創立5周年を記念する式典が行われた。会社の発展に貢献したラージはCEOへの昇進を期待していた。式典にはランジート・ラーイ会長(アムリーシュ・プリー)が出席し、彼の新しい若妻ソニア(プリヤンカー・チョープラー)が新たなMD(専務取締役)に就任したことが発表される。ソニアMDは社員の昇進を発表し、ラージはCEOを飛び越してBD(専務取締役補佐)に昇進する。

 だが、ソニアがラージを特進させたのには訳があった。実は5年前、南アフリカ共和国でラージとソニアは出会っていた。二人は恋に落ち、肉体関係となるが、自身の成功のためなら何でもするソニアの態度にラージは疑問を持ち始めていた。ある日ソニアは妊娠するが、彼女は何のためらいもなしに胎内の子供を中絶しようとする。ラージは怒って彼女と絶好する。だが、ソニアはまだラージのことを愛していた。ランジート会長の妻となって金と権力を手に入れた後、ラージの誘惑を開始したのだった。

 そのとき会社が生産を開始していた携帯電話に不具合があることが分かっていた。その携帯から電話をかけると、電話帳に登録されている別の番号にも同時に電話がかかってしまうという不思議なトラブルだった。ラージはソニアにそのことを伝え、即刻生産を中止するように訴える。しかしソニアはその件の協議のためラージを自宅に呼び、彼を誘惑する。ラージはそれを必死に拒否し逃げ出す。

 次の日ラージが会社に出勤すると、ランジート会長から突然辞表の提出を命令される。ソニアは、ラージにレイプされそうになったと夫に知らせたのだ。ラージは必死に弁護するが、会長からも同僚からも信じてもらえなかった。ラージは親友の弁護士ラーム・チョートラーニー(アンヌー・カプール)に相談するが、彼はラージに、黙って辞表を提出するか、それとも世間のゴシップのネタとなりながらも法廷で徹底的に戦うしか道はないことをアドバイスする。ラージは妻のプリヤーに会社で起こっていることを打ち明ける。プリヤーはラージのことを信じてくれて、一緒に会長を名誉毀損で訴えることに決める。

 有名携帯電話会社の内紛に加え、女性によるセクハラ疑惑事件とあって、メディアは大きくラージとソニアの争いを取り上げた。ラージの弁護士はチョートラーニー、ランジート会長ソニアの弁護士はパテール(パレーシュ・ラーワル)。だが、ラージの身体にソニアの爪の後がいくつも残っていたことから、裁判はラージに不利となる。もしこの裁判に負けたら、ラージは逆にソニアらからレイプ未遂で訴えられ、懲役7年の刑が待っていた。1週間後に判決が言い渡されることになった。

 ところが、ラージの元に有力な証拠が入ってくる。それは、ラージとソニアの間でセクハラ疑惑があったときに、ラージがかけていた電話の記録である。ラージとソニアが床でもつれ合っている間の声の記録が全て記録されていた。これによりプリヤーは全面的にラージを信じることになり、チョートラーニーも裁判での勝利を確信する。ところがチョートラーニーの弟子の弁護士はランジート会長と内通しており、チョートラーニーは交通事故に遭って入院し、そのテープは破壊されてしまう。プリヤーは単身ソニアの元を訪れるが、ソニアは「ラージを私の愛人と認めれば許してあげるわ」と言う。怒ったプリヤーは、弁護士資格を持っていたので、自分でラージの弁護士を務めることに決め、法律の猛勉強をする。

 1週間後、法廷でプリヤーはランジートが不能であることを明らかにし、ソニアが性的に欲求不満だったことを暴露する。また、ラージとソニアが5年前に肉体関係を持っていたこと、そしてソニアがラージの子を身ごもりながらも中絶したことなどの証拠を出す。パテール弁護士はソニアがラージを誘惑した確固たる証拠を求める。そこでプリヤーは、ラージの会社の同僚を証人として呼ぶ。実はラージがソニアに誘惑されたときに電話をかけたのはその同僚だったが、携帯電話の不具合のせいで別の人のところにも電話がかかっており、そのテープがソニアによって破壊されたのだった。同僚もラージの電話は受け取っておらず、留守電センターに音声が記録していた。その音声の記録を呼び出すと、ソニアがラージを誘惑した一部始終が録音されていた。この動かぬ証拠により、ラージは裁判に勝つ。一方、全てを失ったソニアはそれから間もなく飛び降り自殺をしてしまう。

 今年は性をテーマにしたヒンディー語映画が多数公開されて話題になったが、この映画もその1本として数えられることになるだろう。しかし、ただ単に過激な性描写で話題を呼んだ他の映画とは違い、この映画のテーマは非常に考えさせられるものであり、映画的にも完成度が高かった。携帯電話の不具合がレイプ疑惑事件解決の最終的な手掛かりにつながる筋はお見事。よって、ディーワーリーに公開された4本の映画は、どれも何かしら見る価値がある映画であると自信を持って断言できることとなった。

 普通、レイプが映画のテーマになると、加害者は男性で、被害者は女性であることがほとんどだ。これは実世界でも変わらず、男女の間で何かしらいざかいがあると、まず疑いの目は男性に向けられる。特に性的なトラブルが発生した場合、事件の背景の精査なしに男性が犯人と決め付けられる。日本でも痴漢の冤罪がけっこう大きな問題となっていると聞く。女性の地位が改善されつつあることはいいことだが、その代わりに男性の肩身が狭くなっていくのは、過渡期だからなのか、それとも社会の何かが歪んでいるのか。「Aitraaz」はまさにその痴漢冤罪がテーマとなっていた。この問題に付随して、中絶、不能、女性の性欲などに関しても触れられていた。ストーリーの導入部分はハリウッドの「ディスクロージャー」(1994年)と似ているが、結末はこちらの方がさらに深められていると言える。また、同じアッバース・マスターン監督の「Ajnabee」(2001年)とも途中まで似通っていたが、やはりこちらの方が完成度が高い。

 「Ajnabee」でもそうだったが、アッバース・マスターン監督の映画は出だしがB級映画っぽい。「Aitraaz」の冒頭のシーン、つまりラージとプリヤーの出会いも、下手なTVドラマよりもさらにしょうもない筋書きだった。だが、ソニアの登場あたりから物語は一気に面白くなり、後は時間が過ぎ去るのも忘れて映画に集中できる。ちなみにアッバース・マスターンとは、2人の兄弟の連名である。アッバース・アリーバーイー・ブルマーワーラーと、マスターン・アリーバーイー・ブルマーワーラーが共同で映画監督をしている。

 主演3人ははまり役。アクシャイ・クマールはプレイボーイの役も純朴な青年の役も似合うが、今回は後者の方。筋肉だけでなく、演技力もある男優であることが最近知れ渡ってきた。カリーナー・カプールも貫禄の演技。カリーナーもイケイケギャルの役と清純な乙女の役を演じ分けることができるが、今回は後者の方。映画カーストの血は伊達じゃない。落ち着きのある大人の演技をしていた。ソニア役、つまり男を誘惑する魔性の女役として、現在のヒンディー語映画界では3人の女優の名前を挙げることが可能だ。すなわち、ビパーシャー・バス、マッリカー・シェーラーワト、そしてプリヤンカー・チョープラーである。この3人の内、誰がソニアを演じてもはまったとは思うが、特に知的かつ情熱的なイメージのあるプリヤンカー・チョープラーはピッタリだった。脇役陣にも隙がなく、アムリーシュ・プリーやアンヌー・カプール、そして後半だけの登場だがパレーシュ・ラーワルらはさすがの演技をしていた。

 法廷のシーンで、弁護士のパテールが面白いことを言っていた。ラージがオフィスの女性の尻を毎回新聞などで叩いていたことについて言及するのだが、そのときヒンディー語の「尻」という単語について話していた。証人として呼ばれたOLは、「尻」と言うのが恥ずかしくて、英語の「bum(尻)」という単語を使っていた。それを聞いたパテール弁護士は、「私のヒンディー語の知識が確かなら、bumとはプッター(puTThaa)、プリシュト(pRiShTh)、またはニタンブ(nitamb)のことのはずだ」と臆面なく発言した。実は、ヒンディー語では「尻」という単語は性器と並ぶくらいの禁句の一種であり、一般的インド人がこの単語を口にすることはほとんどないと言っていいい。僕が昔、フィジーで話されているヒンディー語の語彙調査をしていたときも、調査協力者から「尻」という単語を聞き出すことはできなかった。代わりに「ターング(Taang)」という単語が出てきたが、これは「脚」という意味で、つまり体よくはぐらかされてしまった。日本でも「尻」という単語はあまりいい言葉ではないが、それでも状況が許せば口にすることはけっこうあるだろう。だが、インドでは禁句中の禁句扱いを受けている。映画の中で「ラージ氏は女性のプッターを叩いていた」というセリフが出たときは、映画館は爆笑で包まれた。

 ラージの身体にソニアの爪跡が無数に残っているという場面があった。この爪跡が、ラージがソニアをレイプしようとした動かぬ証拠となってしまい、ラージは窮地に陥る。しかし、チョートラーニーの後を継いでラージの弁護をしたプリヤーは、女性の立場からその爪跡に対して鋭い分析をする。「もし無理矢理押し倒されそうになったら、女性は男性の顔をひっかくものだ。しかしラージの身体に残っている爪跡の多くは、背中にある。女性が男性の背中に爪跡をつけるときは、悦楽にあるときだ。」また、プリヤーはランジート会長が不能であり、そのために過去に2回離婚していることを指摘し、ソニアも性的欲求不満にあったことを明らかにする。男性の不能と女性の性欲について堂々と語るヒンディー語映画は珍しい。いろいろなタブーに挑戦した映画だと言える。

 あと、気付いたことを数点。南アフリカ共和国のシーンで登場したラージの家(ガラス張りの透明な家)は、「Fida」(2004年)でも使われていた。「I Want To Make Love To You」のミュージカル・シーンはロングテイク(長回し)の1シーンで撮られていた。なぜか韓国企業サムスンの製品が映画中たくさん出てきた・・・。

 ただの男女の三角関係だと思いきや、今までにない際どいテーマを扱った良作映画である。ディーワーリーに公開された4本のヒンディー語映画は、どれも今年を代表する映画である。この質の映画が毎週公開されるようになったら、僕も枕を高くして眠れるのだが・・・。