Taarzan

2.0

 最近、ヒンディー語もいろんな主題の映画をリリースするようになってきたが、こんな変な映画は前代未聞だろう。今日(2004年8月6日)公開されたばかりの新作ヒンディー語映画「Taarzan」をPVRアヌパム4で見た。いったい「Taarzan」の何が変かというと、意思を持った自動車が主人公なのだ。意思を持った自動車と聞くと、僕はつい「ドラえもん・のび太の海底奇岩城」(1983年)に出てきたバギーちゃんを思い出してしまうのだが、果たしてそれがインド映画にどのように組み込まれるのか。期待と不安が入り混じった気持ちで映画館に足を運んだ。

 「Taarzan」とは、あのジャングルの王者ターザンのことで、映画中では自動車の愛称がターザンとなっている。監督は「Ajnabee」(2001年)などのアッバース・マスターン、音楽はヒメーシュ・レーシャミヤー。キャストは、ヴァトサル・セート、アーイシャー・タキヤー、アジャイ・デーヴガン、アムリーシュ・プリー、シャクティ・カプール、ディーパク・シルケー、パンカジ・ディール、サダーシヴ・アムラープルカル、ムケーシュ・ティワーリー、グルシャン・グローヴァー、ラージパール・ヤーダヴ、ファリーダー・ジャラールなど。

 自動車設計者のデーヴェーシュ(アジャイ・デーヴガン)は、新技術の自動車を設計し、大手自動車会社に売り込んだ。会社役員のサクセーナー(シャクティ・カプール)、カプール(パンカジ・ディール)、デコスタ(サダーシヴ・アムラープルカル)、チョープラー(ムケーシュ・ティワーリー)ら四人は、デーヴェーシュの設計図を盗み、自社の自動車として売り出そうと計画する。それがデーヴェーシュにばれると、四人は息のかかった警察官のシャルマー(ディーパク・シンデー)と共にデーヴェーシュを車ごと池に沈めて殺害する。

 それから12年後、デーヴェーシュの一人息子ラージ(ヴァトサル・セート)は大学生になっていた。ラージはカルタル・スィン(アムリーシュ・プリー)の経営する自動車修理屋でアルバイトをしながら、祖母(ファリーダ・ジャラール)と共に貧しい生活を送っていた。ある日、ラージの通う大学に、英国オックスフォード大学からプリヤー(アーイシャー・タキヤー)というかわいい女の子が入学して来る。ラージはプリヤーと仲良くなり、やがて二人は恋仲となる。

 ある日、ラージはスクラップ屋で父親の愛車「ターザン」を発見する。変わり果てた姿になっていたが、バックミラーにかかっていたターザンの人形は、それが父親の自動車であることを証明していた。ラージはターザンを買い取り、自分の手で大改造を施す。

 ラージの設計と執念により、ターザンは独特のフォルムを持つかっこいい自動車に生まれ変わった。ところが、この自動車に合うエンジンポンプは既に生産中止となっており、どこにも見当たらず、動かすことができなかった。ラージが諦めたとき、急に自動車は動き出す。実はこのとき、父親デーヴェーシュの霊がターザンに乗り移ったのだった。

 デーヴェーシュの霊が乗り移ったターザンは、手始めにラージをいじめていた大学生四人組をやっつけ、その後、自分を殺した五人の男に復讐を始めた。ターザンは勝手に動き出し、全てはラージの知らない間に行われた。まずはチョープラーが殺され、サクセーナー、デコスタ、シャルマーと次々に殺されていく。ラージは殺人事件の犯人として警察(グルシャン・グローヴァーとラージパール・ヤーダヴ)に疑われるが、証拠不十分のために釈放される。

 そんなとき、イギリスからプリヤーの父親がインドにやって来る。実は、彼女の父親は、デーヴェーシュを殺した五人の内の一人、カプールだった。このときラージとプリヤーは婚約していたが、ラージがデーヴェーシュの息子であること、またチョープラーら四人を殺したのがラージである疑いがあることを知ると、カプールは娘の結婚を断固拒絶し、プリヤーをイギリスへ連れて帰ろうとする。ターザンはカプールにも襲い掛かるが、カプールはターザンを崖から落として破壊する。カプールはそこへ駆けつけたラージをも殺そうとするが、ターザンは再生してカプールを懲らしめる。また、カプールは自分がデーヴェーシュを殺したことを自白する。カプールは逮捕され、デーヴェーシュの霊はラージに「オレよりもすごい車を作ったな」と言って去っていく。

 ストーリーの基本線は、「Karan Arjun」(1995年)のような、無念にも殺された人が現世に転生して、自分を殺した悪人たちを成敗するという転生復讐映画だった。しかし、霊が自動車に乗り移るという仰天の発想により、非常にユニークな映画になっていた。とは言え、映画中一番面白いのは、異色のヒーロー「ターザン」でもなく、人間のヒーロー・ヒロインの恋愛でもなく、実は脇役陣のコメディーである。自動車が主人公ということを除けば、普通のインド映画として十分に楽しめる映画だが、最後のまとめ方が陳腐だったので、総合評価は低めである。

 最初に断っておかなければならないが、上のあらすじでターザンを「かっこいい自動車」と表現したが、これは映画中の登場人物にとって「かっこいい」ことになっているからそう書いただけである。はっきり言って、ターザンのデザインはインド人のセンスを疑うほどダサい。しかもターザンという名前はどうかと思う。映画中の説明によると、デーヴェーシュの父親が車のバックミラーにディズニーのキャラクターのターザンの人形をぶら下げたことから、その車の名前はターザンとなった。そのターザンの人形のおかげで、ラージはターザンを見つけることができたので、一応ストーリー上重要な意味を持つ。それから大改造を施した後もずっとターザンの人形はぶら下がっていた。つまり、ターザンとターザンの人形は、祖父、父、息子と受け継がれたことになる。だが、ディズニーの「ターザン」が公開されたのは1999年であり、映画中の時間は現代(つまり2004年)が基準となっていると思われるから、時代考証が全くなってないことが分かる。こんな細かいことを突っ込んでもインド映画は始まらないわけだが・・・。

 主人公は何と言ってもターザンである。運転手なしに勝手に動き出すのはまだ序の口で、敵に体当たりしたり、エンジンを吹かして騒音を立てて家のガラスを粉々にしたり、水中や水上を走行したり、自分で自動的に修復したりと、まるでアニメのような非現実的活躍をする。観客は、自動車にデーヴェーシュの霊が乗り移っているから何でもできるんだ、ということで無理に納得するしかない。やっていることは殺人なので、よく考えると恐ろしいマシンなのだが、いくつか微笑ましいシーンがあった。例えば、チョープラーの乗った自動車を追いかけている途中で、タイヤを溝にはめたバスを見かけると、一旦追跡をやめて、バスを後ろから押し上げてあげたり、走行中にも関わらずラージがプリヤーといちゃついていてよそ見運転をしていたとき、運転をそっと代行してあげたりするシーンがあった。最後に、デーヴェーシュの霊が去って行くときに、「それとラージ、運転中はよそ見をするなよ」と注意するところは絶妙だった。

 ラージとプリヤーの恋愛はほとんどオマケみたいなものだった。ラージがプリヤーに告白するシーンは酷い。映画中、最悪の場面だろう。ラージは最初眼鏡をかけているのだが、プリヤーの勧めでコンタクトにし、ファッションもイメチェンする。最近のインド映画には、この「冴えない男または女が眼鏡を卒業してモテモテに」という方程式が多いような気がする。「Kal Ho Naa Ho」(2003年)はその代表例だし、「Koi… Mil Gaya」(2003年)もその一種だ。また、TVCMでも、眼鏡をやめてコンタクトにしたらモテモテになった、というプロットのものが流れている。はっきり言って普通のインド人は、コンタクトレンズをあまり理解していない。だが、コンタクトは売られており、使用しているインド人も徐々に増えてきていると思われる。眼鏡という安価な視力矯正器具から、コンタクトレンズという高価で面倒な器具への移行、またはそれを人々に促すこの一連の動きは、インドが豊かになって来ていることを表していると思う。ちなみに眼鏡をかけている人への蔑称をヒンディー語では「チャシュミシュ」という。

 ラージを演じたヴァトサル・セートと、プリヤーを演じたアーイシャー・タキヤーは共に映画初出演だ。ヴァトサル・セートは「リティク・ローシャン二世」と呼ぶべき注目の若手男優。踊りもリティク・スタイルでなかなかうまい。最近の流行なのだろうか、細身でスラッとした体型である。顔はクリケット選手のラーフル・ドラヴィルに似ていると思う。アーイシャー・タキヤーも、いかにも最近の流行の顔という感じだ。個人的には、アミーシャー・パテールやブーミカー・チャーウラーを想起させた。アーイシャーはこの映画で無難なデビューを果たせたと思う。踊りはヴァトサルに押されていた。近年、女優よりも男優の方が全体的に踊りがうまくなっているような気がする・・・。

 脇役で何人か有名な俳優が出ていたが、一番面白かったのはデコスタを演じたサダーシヴ・アムラープルカルだった。下級警官を演じたラージパール・ヤーダヴも要所要所で笑わせてくれた。

 分かりやすくまとめると、「Taarzan」は、コメディー映画だと思って観ると大吉、変わったインド映画だと思って観ると吉、かっこいい車が出てくる映画だと思って観ると凶、恋愛映画だと思って観ると大凶、という映画である。