Kismat

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Kismat
「Kismat」

 今日はグルガーオンのDTシネマに、2004年2月20日公開の新作ヒンディー語映画「Kismat」を観に行った。「Kismat」とは「運命」という意味。監督はグッドゥー・ダノーワー。キャストはボビー・デーオール、プリヤンカー・チョープラー、カビール・ベーディーなど。

 7歳の頃に両親を亡くし、叔父に捨てられたトニー(ボビー・デーオール)は、ムンバイーでスリや窃盗を生業にして生きて抜いていた。トニーは仲間と共に、裏社会で暗躍するパテールに雇われ、自動車のローン支払い滞納者を恐喝して自動車を取り上げる仕事をし始めた。

 ある日トニーは仲間に連れられてサプナー(プリヤンカー・チョープラー)という人気歌手のコンサートに行った。そこでトニーはサプナーに一目惚れする。トニーはサプナーと仲良くなり、突然プロポーズする。しかしサプナーは、トニーを医者でフィアンセのアルジュンと引き合わせ、既に結婚相手は決まっていることを伝える。傷心のトニーは酔いつぶれる。

 トニーはパテールから依頼を受け、食品&薬品検査局のクラーナー局長を恐喝して強引に書類にサインをさせる。しかしその書類は、期限切れの薬品の販売を認可するものだった。販売された薬品によって3人の子供が死亡し、クラーナー局長はその責任を取らされて裁判にかけられる。実はクラーナーは、サプナーの父親だった。世間はクラーナーにとその家族に対し怒りをぶちまけ、クラーナーは頭がおかしくなってしまい、母親は自殺してしまう。サプナーの結婚も断られてしまった。こうして、サプナーの家庭は滅茶苦茶になってしまった。しかし、この危機の中、自分を必死に助けてくれるトニーに対して、サプナーは心を惹かれるようになる。

 責任を感じたトニーは、クラーナーの無実を法廷で証言する決意をする。しかしサプナーはクラーナーを恐喝したのがトニーであることを知って激怒する。トニーは、サプナーの父親だとは知らずにやったことだと説明し、クラーナーに書類をサインさせるよう依頼を出した張本人、ラージ・マウリヤ(カビール・ベーディー)を法廷へ引きずり出す計画を練る。

 マウリヤが二人の息子を溺愛していることを知ったトニーは、一人を誘拐し、一人を爆殺して、マウリヤに法廷で証言するように脅す。判決の日、マウリヤは裁判所に現れ、自分がクラーナーに薬品の認可を出すよう脅迫させたことを証言する。こうしてクラーナーの罪は3年の懲役刑で済み、トニーも恐喝の罪に問われたものの、刑期を終えた後にサプナーと結婚したのだった。

 はっきり言ってしょうもない映画だったが、全く期待せずに観に行ったので、「こんなもんか」ぐらいの感想だった。ただプリヤンカー・チョープラーを見に行っただけであり、やはりプリヤンカー・チョープラーだけが見ものの映画だった。

 ストーリーはインド映画の王道、シンデレラストーリーの亜種である。ヒーローはチンピラ、ヒロインは人気歌手。この全く別の世界に住む二人が偶然出会い、恋に落ち、最後には結ばれる。普通、インド映画では上の階級の人に恋をした下の階級の人が、何かしらの手段や運の巡り合わせによって大物となり、めでたく上の階級の人と結ばれるという筋が多いが、「Kismat」では上の階級の人に当たるサプナーが、父親の汚職によって凋落するという筋で、その点は言うなれば斬新だった。

 この映画は欠点だらけだったが、一番の欠点は最後のまとめ方である。法廷にマウリヤが現れて自供した後、ナレーションが入っていい加減なまとめ方をされてしまっていた。あんな終わり方をされたら、いくら温厚な僕でも怒髪天を突いてしまう。監督のやる気のなさが表れていた。

 プリヤンカー・チョープラーが果たしてインド人の若者にどういう受け止められ方をしているのか、人気があるのかないのか、僕には分からない。僕も彼女のことを絶世の美人だとは思っていない。しかし、個人的にプリヤンカーから発せられるオーラには注目しており、おそらくこのまま伸びていく女優なのではないかと予想している。この映画でも彼女はそつなく演技をこなしていたし、何より彼女の魅力を高めているのは、ダンスシーンである。ダンスが無茶苦茶うまいというわけでもないが、体全体で楽しそうに踊ることができているので、見ていてこちらも楽しくなる。少なくとも最近供給過剰気味の新人小粒女優たちに比べたら、将来は明るい。

 悪役を演じたカビール・ベーディーも好演していた。主役のボビー・デーオールはというと・・・アクション・シーンだけが取り得の、拳でしか演技のできない男優だ。脇役向けの顔だと思うのだが、父親(ダルメーンドラ)と兄(サニー・デーオール)の七光りのおかげで主役を演じ続けている。サニー・デーオールからは肉体力の他に演技力とカリスマ性を感じるが、ボビー・デーオールには僕は手厳しい評価しかしていない。

 プリヤンカー・チョープラーを見るためだったら「Kismat」は何とか観るに値する映画。それ以外の目的があるのなら、この映画はただの時間と金の無駄にしかならない。