Ek Din 24 Ghante

2.0

 今日はPVRアヌパム4で2003年11月3日公開の「Ek Din 24 Ghante(1日24時間)」を観た。主演はナンディター・ダースとラーフル・ボース。監督は「Mumbai Matinee」(2003年)や「Joggers’ Park」(2003年)のアナント・バーラーニー。

 舞台はムンバイー。サミーラー(ナンディター・ダース)は幼少の頃から予知能力があった。夢で見たことが現実に起こるのだった。サミーラーにはヴィーレーン(ラーフル・ボース)というボーイフレンドがいた。サミーラーの父は実業家だったが、風来坊な生活をしているヴィーレンを忌み嫌っていた。父にはソニアという愛人がいた。

 ある日、サミーラーは不吉な夢を見た。案の定その夢は現実になった。ヴィーレーンが賭博場で大負けし、マフィアのボスに捕まってしまったのだった。ヴィーレーンはサミーラーに、24時間以内に200万ルピーを用意して港に持ってくるように頼む。さもなくば、ヴィーレーンの命の保証はないという。ヴィーレーンを愛していたサミーラーは、何とか金を用意することに決める。

 サミーラーは父親にその金の工面を頼むが、もちろん受け入れられない。そこでサミーラーは銃を取り出して父親を脅し、200万ルピーを強奪する。父親は金を取り返すために刺客を送り込む。

 サミーラーは一路港へ向かうが、ちょうどその日はバンド(ゼネスト)の日で、交通機関が麻痺し、街には暴徒が溢れていた。サミーラーは暴徒から逃れ、警察の追跡をかわし、父親が放った刺客を逆に利用したりして、なんとか時間内に港に辿り着く。

 港にはヴィーレーンとマフィアがいた。サミーラーが金を渡そうとするが、父、刺客と警察が同時に踏み込んできて、相互の銃撃戦となる。結果、マフィアのボスが生き残り、200万ルピーを奪って逃げる。しかしサミーラーのおかげでヴィーレーンは助かった。

 ところがその夜もサミーラーは夢を見る。その夢に従ってある家に入ると、そこにはヴィーレーンとソニアがいて、会話をしていた。なんと父親の愛人だったはずのソニアは、ヴィーレーンとできていたのだった。今回の事件は全てヴィーレーンとソニアが大金を手に入れるために仕組んだことだった。それを知ったサミーラーはヴィーレーンを撃ち殺し、去っていく。

 非常に評価の分かれる映画。というより、ほとんどの人が駄作と認める映画。でも、もしかしたら傑作と評する人もいるかもしれない。

 今年は後半になってアナント・バーラーニー監督の映画が立て続けに3本上映された。「Mumbai Matinee」、「Joggers’ Park」そしてこの「Ek Din 24 Ghante」である。前者2本は非常に面白かったので、この映画にも自然と期待していた。しかも僕の好きな男優ラーフル・ボースも出演しているので、期待しない方が不自然だった。そういう意味では、期待外れだったと言わざるを得ないだろう。

 物語の中心は、恋人を助けるために200万ルピーの金を背負ってひたすら走るサミーラー(ナンディター・ダース)である。バンドのために人っ子一人いないムンバイーの街を一人ひたすら走る姿は印象的だ。日本でも公開されたドイツ映画「ラン・ローラ・ラン」(1998年)を思い起こさせるが、あの映画のようにテクノ音楽が使われているわけでもなく、スピード感、緊張感があるわけでもなく、黒沢明監督の「羅生門」(1950年)的展開でもなく、全く単調だ。主人公に予知能力があるというのは少しひねったところだろう。夢のシーンの特殊効果はうまかった。だが、その予知能力がいろいろな場面でサミーラーを救う設定になってはいるものの、別にその能力がなくても映画は成り立ったと言ってもいいだろう。そう考えると、全く蛇足の設定ということになる。結局事件の真相は、ヴィーレーンの狂言誘拐ということで終わるが、もうこの筋は多くの映画で使い古されており、何の新鮮味もない。

 最悪の映画と評したいところだったが、ふと感じたことがあった。この監督はもしかして日本映画っぽい手法で映画を撮ろうとしているのではないか、ということだ。インド映画には珍しく、やたらと長回しが多用されていて、それが映画を非常に冗漫にしているのだが、途中から何となく、北野武監督映画っぽい雰囲気を出そうとしているような気がしてきた。もしそうだとしたら、アナント・バーラーニーはドイツ映画や日本映画など、世界各国の映画をよく研究していることになる。残念ながらそれが実っているとは言いがたいが、インド映画にとって彼の存在は決してマイナスではないだろう。

 ラーフル・ボースには少し失望した。彼の出演している映画は今まで全て満足のいくレベルだったのだが、今回は映画全体と、彼自身の演技、共に納得がいかなかった。