Joggers’ Park

4.0
Joggers' Park
「Joggers’ Park」

 今日はPVRアヌパム4で、2003年9月12日公開のヒングリッシュ映画「Joggers’ Park」を見た。「Bollywood Calling」(2001年)でデビューし、つい先日見た「Mumbai Matinee」(2003年)にも出演していた新星パリーザード・ゾーラービヤーンと、ベンガリー語映画界のベテラン俳優ヴィクター・バナルジーが主演。監督は「Taal」(1999年)などで有名なスバーシュ・ガイー。

 ムンバイーに住むジャスティス・チャタルジー(ヴィクター・バナルジー)は公正な審判で有名な判事で、40年の勤務を終えて引退したばかりだった。仕事が生き甲斐だったチャタルジーは、引退後の暇つぶしに家族の勧めで、ジョガーズパークと呼ばれる公園で毎朝ジョギングをするようになった。

 ジョガーズパークは近隣の老若男女が集まる社交の場でもあった。チャタルジーはジョギングを続けるうちに、ジェニー(パリーザード・ゾーラービヤーン)という若い女の子と出会う。ジェニーは明るくて知的でモダンな性格で、チャタルジーとすぐに仲良くなり、彼のことをJCと呼ぶようになった。

 実はジェニーにはひとつの問題があった。ジェニーの母親はかなり昔に死に、父親も数年前に死んだのだが、その遺産を巡って叔父と裁判沙汰になっていた。JCはジェニーを助けるために友達の弁護士を紹介し、そのおかげでジェニーは裁判に勝つことができた。

 ジョガーズパークで出会いを重ねるごとにJCとジェニーの仲は深まっていった。JCはジェニーへの恋に狂い、ファッションや言動まで変わってきた。JCの家族は退職によってプネーに引っ越す予定だったが、JCはあと1年ムンバイーに延長して住むと言い張る。あるときジェニーはJCの心を見透かして言った。「私、あなたに恋しちゃったわ。あなたも私のこと好きでしょ?別に何も特別なことじゃないわ。」こうしてJCは、妻がありながらジェニーと恋人関係になってしまった。

 しかしある日JCの元へ一人のジャーナリストが訪ねてくる。彼は以前JCに助けてもらった経験があった。彼はJCの娘にある写真を渡す。その写真はJCとジェニーの逢引きの写真だった。明日の新聞に一大スキャンダルとして掲載される予定だったのを、彼が止めさせたのだった。我に返ったJCはジェニーとの恋愛を諦め、即プネーに移ることにしたのだった。

 4年後、ムンバイーの空港でJCはジェニーと偶然再会する。ジェニーは有名な音楽家ランジートと結婚し、一子をもうけていた。ジェニーを見送る彼の胸には、ジェニーからもらったネックレスが輝いてた。

 人生で一度も道から外れたことがなかった初老の男と、今の人生を精一杯楽しんで生きる若い女性との、不倫めいた恋愛がテーマの映画だったが、ジョガーズパークの明るい雰囲気と、シャレた音楽、そして微妙な匙加減のコメディーテイストのおかげで非常にさわやかな映画だった。とてもいい映画だ。見逃さなくてよかったと思った。

 主人公のジャスティス・チャタルジーは職業柄、生真面目であまり感情を表に表さない男。判事をやっていたため、誰からも何の贈り物ももらおうとしないほどだった。一方、もう一人の主人公ジェニーは、定職につかない、日本で言うフリーターだが、その日その日を楽しんで生きている明るい女性。ジェニーは当初、係争中だった裁判でチャタルジーの助けを借りるために彼に近づいたのだが、次第に彼の性格に惚れてしまう。チャタルジーも最初は強引な性格のジェニーにうろたえていたものの、次第に毎日ジョガーズパークで彼女の姿を探すようになる。

 チャタルジーはジェニーに会う前は、恋愛は悪だと考えていた。法律こそ絶対の真実であると考えていた。しかしジェニーとの出会いによって、愛という絶対の真実に目覚める。誰かを愛してしまえば、年齢も世間体も法律も全て何でもなくなってしまうことに気が付く。しかし最後に彼が戻っていったのは、ジェニーではなく、家族の元だった。彼は自分の熱情ではなく、家族の尊厳を守ることに決めたのだった。この終わり方はインド映画っぽくてよかった。

 一応ヒングリッシュ映画にカテゴライズしたが、この映画の言語は都市部のインド人のごく自然なしゃべり方だった。つまり、ヒンディー語と英語がちょうどいい混合率でミックスされていた。

 「Joggers’ Park」は新しい流れのインド映画のひとつに数えられるが、音楽も新しかった。というか、「新しい音楽」と宣伝されていた。インド初のフュージョン音楽らしい。それはともかく、何曲かいい曲があった。アドナーン・サーミーが歌う「Ishq Hota Nahin Sabhi Ke Liye(愛はただ一人のため)」は映画中何度も流れ、アドナーン・サーミーの甘い歌声は映画館を出た後もしばらく頭の中をリフレインしている。いい曲だ。ジャグジート・スィンが歌う「Badi Nazuk Hai Yeh Manzil(今、このときの至福)」もとてもいい。インド映画にありがちのミュージカルシーンは1つ2つほどしかなく、これらの音楽は映画中でBGM以上、ミュージカル未満の絶妙なポジションで流れていた。

 低予算ながら、インド映画のいいところがギュッと詰め込まれた気持ちのいい映画だった。少し中だるみしたところはあったと思うが、ジェニーとの恋愛を諦めた後、奥さんの作ったキール(ミルク粥)をチャタルジーが「なんておいしいんだ!」と泣き叫んで食べる終わり方がよかったので、気にならなかった。