Escape from Taliban

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 2月に公開される映画の中で、僕が最も注目していた映画がこの「Escape From Taliban」だった。2003年2月14日公開、マニーシャー・コーイラーラー主演で、一昨年、昨年と話題をさらったアフガニスタンのイスラーム原理主義政権ターリバーンがメインテーマになっている映画である。タイトルを聞いただけでも興味をそそられるではないか。監督はウッジャル・チャットーパーディヤーヤ。

 あらすじをチラッと耳にしたところ、アフガニスタンへ嫁いだインド人女性がターリバーンからインドに逃げて来るという、実話を元にした映画とのこと。実際の見聞どころか実話が元なのできっと生々しくて新鮮なアフガニスタンの描写があるに違いない。そしてきっとヒットするに違いない。非常にワクワクしながら公開を待ち焦がれていた。やっとのことで封切られたのだが、蓋を開けてみてビックリ。デリーでは3館しか上映されていないという意外な縮小公開ぶり。俄かにクソ映画の臭いがプンプンし始めた。PVRなどのシネマコンプレックスで公開される映画はある程度の質が期待できるのだが、公開初週にも関わらず上映映画館数が少ない映画は、十中八九クソ映画であるというのが今までの経験から得た法則である。しかし悲しいかな、期待の映画のなりの果てを見届けたくて、今日、パハールガンジ近くのシーラー・シネマへ足を運んだ。

 アフガニスタン人のジャーンバーズ(ナワーブ・カーン)と駆け落ち結婚したインド人ヒンドゥー教徒女性のスシュミター(マニーシャー・コーイラーラー)は、家族を捨て、故国を捨ててアフガニスタンへやって来た。しかし彼女が見たアフガニスタンはまるで地獄だった。ターリバーンの圧政のもと怯えながら暮らす人々、毎日のように繰り返される殺人、女性はまるで子供を産むためだけに生まれてきたような扱いをされ、夫の家ではヒンドゥー教徒ということで厄介者扱いだった。しかも一番耐え切れなかったことは、スシュミターは実はジャーンバーズの二人目の妻だったことだ。とうとう耐え切れなくなり、スシュミターはインドへ何度も脱走を試みる。しかしジャーンバーズ一家の執拗な追跡により全て失敗に終わる。一度はパーキスターンまで逃れることができたのだが、インド大使館もアフガニスタン大使館も彼女に救いの手を差し伸べようとはしなかった。

  それでも諦めないスシュミターは真夜中に家を抜け出す。途中ターリバーン兵たちに見つかるが、それでも逃げる。危機一髪のところで彼女を助けたのは、ジャーンバーズ一家の長ドラナーイーおじさんだった。彼はスシュミターをパーキスターン国境まで連れて行き、インドへの航空券とパスポートを渡して彼女を逃がしてやる。こうしてスシュミターはインドへ帰ることができたのだった。

 分かっていた・・・分かっていたんだ、クソ映画だということは・・・しかし観てしまった・・・貴重な金と時間を割いて・・・。いったいどうしたらこんな完成度の低い映画を作ることができるのだろうか?題材は非常にいいと思うし、キャストも悪くなかった。それなのにこんなクソ映画が出来上がってしまったか・・・。こんな映画を作って観せられるぐらいだったら、僕がその映画の予算・キャスト・題材を使ってもっといい映画を作りたくなったくらいだ。

 まずロケ地のほとんどはラダックで、アフガニスタン突撃現地ロケではなかった。それはそれでいいとしよう。僕もラダックには行ったので、あの希薄な酸素の中でよく走ったり踊ったりしたもんだと感心した。が、なぜアフガニスタンの風景の代わりにラダックを選んでおいて、わざわざラダックの名所であるラマユル・ゴンパを映すのか?そんなことしたらアフガニスタンにいる気分じゃなくなってしまうではないか?ラダックをアフガニスタンの風景に見せかける努力をもっとすべきではないのか?道の途中にアラビア文字を書いた紙を張っても何の意味もない。そのせいで、この映画における時代考証、現地の風習、マニーシャーらの身に付けていた現地風の衣装などを全く信用できなくなった。

 途中で砂丘砂漠のシーンも何度か挿入された。見てすぐに特定できた。ラージャスターン州のジャイサルメール近くにあるタル砂漠だ。よくインド映画に出てくるところなので、別にそこを使ったことに文句を言うつもりはない。しかしその砂漠は悲しいほどに足跡だらけなのには文句を言わせてもらう。映画を撮るときぐらい、1日ぐらい前から砂漠に人を入れるのを規制させて、キレイな砂漠で撮影して欲しかった。

 ターリバーンの一方的な描写の仕方にも幻滅した。まるで「インディー・ジョーンズ」シリーズに出てくるナチスのような、「パール・ハーバー」(2001年)に出てくる旧日本軍のような、絵に描いたような悪役像をそのまま押し付けられた形だった。ターリバーン兵たちは本当にこんな残虐なことを日常的にしていたのだろうか?本当だったら申し訳ないのだが、僕は違うと思う。ターリバーン兵の全員が全員手当たり次第に銃をぷっ放して殺戮の限りを尽くしていたわけではないだろう。僕はもっと違った描写の仕方を期待していたのだが・・・。ウサーマ・ビン・ラーディンやオマル師が友情出演していたら、この映画の評価もガラリと変わったと思うが無理か。

 何と言ってもこの映画の一番いけないところは、時間軸がはっきりしないこと。回想シーンがどこからどこまでかよく分からない。しかも昼と夜もあまりはっきりしない。突然夜から昼になったりするし、山の上を走っていたと思ったら次のシーンでは急に砂漠を走っていたりして、何が何だかよく分からない。編集が甘すぎる。いったい監督は何を考えているのか。ちなみに監督の名前はウッジャル・チャタルジー。

 音楽監督はバブール・ボースという人。僕はあまり聞いたことがない。映画がクソ映画なら、音楽もクソ音楽。全く取るに足らない音楽ばかりだった。踊りも大したことなかったし、振り付けもいい加減だったし、ミュージカルシーンのカメラワークもその低品質さに適したものだった。

 クソ映画は文句の付け所ばかりで疲れるから困る。最後にマニーシャー・コーイラーラーに文句を言っておこう。マニーシャーよ、どうしてよ~く監督の才能を見極めてから、よ~く脚本を読んでから映画を選ばないのだ?最近の君の出る映画は、君の女優のイメージを損なう映画ばかりだよ・・・。しかしどうしてマニーシャーがこの映画に出たかったかは容易に推測できる。彼女は抑圧された女性の立場を訴えるのが好きなのだ。おそらくマニーシャーは2001年に公開された「Lajja」と同じ目的でこの映画に出演したのだろう。「Lajja」はまだ悪くなかったが、この映画に出演したのは絶対に将来汚点になるだろう。