Everybody Says I’m Fine!

4.0

 夜、友達のインド人7人とPVRアヌパム4へ映画を観に行った。7人で映画を観に行くのは初めてのことだ。最初はPVRプリヤーへ「Men In Black 2」か「Minority Report」を観に行ったのだが、どちらもチケットが手に入らなかった。1枚2枚ぐらいならダフ屋から少し高いお金を払って購入することもできたのだが、7枚となるとダフ屋でも難しい。そこで今度はPVRアヌパム4へ駆けつけたのだが、そこでもチケットは手に入らなかった。しかし「Everybody Says I’m Fine」という映画だけはまだ空席があった。聞いてみたら7人分ひとかたまりで空席もあったので、そのチケットを購入した。その映画に関しては全くどんな映画か予備知識がなかったの一か八かのギャンブルだった。

 2002年7月26日公開の「Everybody Says I’m Fine!」は、「Monsoon Wedding」(2001年)に似た感じの映画で、インド映画だが登場人物のほとんどが英語で会話をするという、新ジャンルのインド映画だった。舞台はムンバイーのとある美容院で、主要登場人物は全員流暢な英語を話す。唯一、運転手や召使いなどが会話をするときだけヒンディー語が使われる。つまり、インド上流階級のリアルな姿が描かれていると言っても過言ではない。今の僕の言語能力では、はっきり言って英語よりもヒンディー語の方が聴き取りやすくなっていたため、全体の理解度は通常のヒンディー語映画よりも落ちた。監督はラーフル・ボース、主なキャストはレハーン・エンジニア、コーエル・プリー、プージャー・バット、アナヒター・オーベローイなど。ザーキル・フサインが音楽監督を務めていたのにも驚いた。

 ムンバイーの街角にある美容院XENのオーナー、ゼンは不思議な能力を持っていた。人の髪の毛を切ると、その人の考えていることを読み取ることができるのだ。彼は毎日やって来るお客さんたちの心を読んでいた。人々は口では「自分は絶好調だ」と言っているが、内心はいろいろ問題を抱えているものだ。しかしゼンはその能力を悪い方向には使わず、客の考えていることを尊重して、その願望通りに事を進めてあげたりして、さらには恋のキューピッドになったりもしていた。

  XENにはいろいろなお客さんがやって来た。若い女学生、落ちぶれたが豪遊生活を止めないマダム(プージャー・バット)、感情の起伏が激しい個性派俳優(ラーフル・ボース)、一見社会的に成功したビジネスマンなどなどだ。その中で、ゼンはあるとき心を読むことのできない一人の女の子と出会う。彼女の名前はニキータ。ニキータは毎晩クラブ通いして遊び歩いているような不良少女だった。ゼンは彼女に惹かれる。そしてニキータにだけ、自分が持っている不思議な能力について打ち明けたのだった。そしてある晩二人はベッドを共にする。

  ゼンの美容院によくやって来るビジネスマンがいた。彼は雑誌の表紙に載るほど事業に成功したのだが、娘のことで大いに悩んでいた。ある日ゼンはそのビジネスマンの娘がニキータであることを知る。そしてその男が娘のことを全く省みないばかりか、密かに殺してしまおうと考えていたことを察知する。ゼンは怒り、そのビジネスマンの頭を鷲づかみにして台に叩き付け、殺してしまう。ゼンはその死体を自動車の運転席に乗せて壁に突っ込ませ、交通事故に見せかけた。

  ニキータの父の死体はすぐに発見された。ニキータは父の死にショックを受け、一人でXENへやって来る。そして、ゼンに髪を切らせる。ゼンの脳裏には、ニキータの激しい感情が一気に押し寄せてくる。父には愛してもらえなかったけど、愛してもらいたかった気持ち、毎晩遊びまわっていたが、身体を許したのはゼンだけだったこと、どんな父親でも生きててもらいたかったことなどなど・・・。ゼンはただただニキータと共に泣き崩れるしかなかった。

  翌朝、ゼンはいつものように髪を切っていた。しかし、気付くと誰の心も読めなくなっていた。ゼンにとって他人の心を知ってしまうことは苦痛だった。他人の苦痛まで分かってしまうからだ。その苦痛から解放されたのだ。ゼンはニキータと抱き合って喜ぶ。

 う~む、インド映画でここまで作れるか、と唸るぐらいの作品だった。この映画だったら欧米の映画と並べて鑑賞しても全く遜色ない。言語が英語ということで、もちろんインド国内市場だけを見たら観客は自ずと絞られてくるのだが、より広いマーケットである世界市場を視野に入れた場合、このインド映画のような新ジャンル「ヒングリッシュ映画」は一時代を築くぐらい将来勢力を拡大するかもしれない。ちなみに「Everybody Says I’m Fine!」はトロント、バンクーバー、フィラデルフィアなどいくつかの映画祭に出品されたらしい。

 ただ、気になったのが、普通のヒンディー語映画などに比べて際どいシーンがけっこう多かったことだ。インド映画ではキスシーンが出てくることすら稀なのに、この映画では濃厚なキスシーンがあった他、ベッドシーンまであった。英語の映画だから許されるのか?そこんとこの基準がよく分からない。

 観客の反応はかなりよかった。ミュージカルシーンはなかったものの、普通のインド映画のようにギャクシーンも満載だったので、場内からは時々爆笑の声が上がった。しかし、やはり英語を聴き取って笑わなければならないので、笑う人々の笑い方には「オレは英語ができるんだぜ」という優越感じみたものがあったように思えた。また、本当にこの映画ほどインドで日常的に英語が使用されているかは、今もって僕には謎である。確かにマクドナルドなどに行くと、そこにいるインド人の若者たちは英語でしゃべっていることが多い。でも時々ヒンディー語が混じるのが通常だ。また、もしこの映画のゼンのように、他人の思考が読めるようになったと仮定して、普段英語をしゃべっているインド人の脳みその中を覗いてみたら、果たして彼らは英語で思考しているのだろうか、ふと疑問に思った。