American Chai (USA)

3.0
American Chai
「American Chai」

 インド国際映画祭の作品が上映されているパハールガンジのシーラー・シネマへ行き、18:30から「American Chai」を鑑賞した。「American Chai」という題名はもしかしたら「アメリカン・パイ」(1999年)のモジリかもしれない。先日観た「American Desi」(2002年)とも酷似している。アメリカ在住インド人監督によるアメリカ映画で、いわゆるヒングリッシュ映画っぽくてなかなか楽しそうだった。インドでは今回が初上映だが、2001年に公開されている。

 映画が始まる前に、アヌラーグ・メヘター監督の舞台挨拶があった。僕はずっと映画祭の中でも一般用の上映会場ばかり行っていたので、こういう映画祭っぽいイベントには初めて立ち会えた。おそらくプレス向けの上映会場であるスィーリー・フォートでは、各映画の始まりにこのような挨拶が頻繁に行われているだろう。とは言え、特に大したことを言うでもなく、「皆さん、今日は来てくれてありがとうございました。楽しんでいただけると光栄です。感想をEメールで送ってくれると嬉しいです」ぐらいだった。

 スリールはアメリカ生まれのインド人。両親は、スリールは大学で医学を勉強していると思っていたが、実は彼は親に内緒で音楽を専攻していた。スリールはミュージシャンになることを夢見ており、自分をインドの伝統に縛りつけようとする両親の目を盗みつつ、友達とバンドを組んで音楽活動をしていた。彼はギター、キーボード、スィタールなどを弾きこなし、作詞作曲もしていた。

  しかしスリールはあるとき遅刻を原因にバンドメンバーから外されてしまう。また、付き合っていたアメリカ人の彼女にもふられてしまう。そんなときに出会ったのが、インド人でダンサーになることを夢見るマーヤーだった。スリールは新しい友達と、インド音楽と洋楽をミックスさせた音楽を演奏する新しいバンドを組み、マーヤーとの交際も始める。新しいバンドは活動を開始し、コンペティションへの出場権も得る。そのコンペティションには、かつてスリールの所属していたバンドも出場することになっていた。

  スリールは両親に、ミュージシャンになりたいこと、医学ではなく音楽を専攻していたことを打ち明けるが、父親はそれに激怒する。スリールはコンサートに来て、自分の音楽を聴いて欲しいと言うが、父親は怒りのあまり聞く耳を持たない。しかし結局彼らは息子の演奏を聴いていた。父親は、スリールの音楽を聴いて考えを変え、息子のやりたいことをやらせるのが一番いいと悟る。両親の理解を得たスリールは、自分の夢をかなえるために旅立つのだった。

 どうしても同じくアメリカ生まれのインド人の若者を描いた「American Desi」と見比べてしまう作品だった。それほどテーマが似通っていた。アメリカに住みながらもインドの伝統を守り続ける両親、インド人としてよりも、アメリカ人としてのアイデンティティを持っている息子、そしてインド人の恋人ができるというストーリー・・・挙げて行ったらキリがない。しかし決定的に違った点があった。「American Desi」では主人公がインド人としてのアイデンティティを再確認することが最終的なテーマなのだが、「American Chai」ではインドの伝統からの解放がテーマとなっていた。つまり全く逆の結末となっていたのだ。もしこの2つの映画に甲乙つけるとしたら、僕は「American Desi」の方に軍配を上げる。総合的に「American Desi」の方がまとまりがよかったことも理由のひとつだが、やはりインド人がインド文化に帰って行く様を見る方が安心できる。「American Chai」の結末は「Bend It Like Beckham」(2002年)の方に似ていた。

 最近インド人が英語で映画を作り出したということは前にも書いたが、それよりも、インド人がインドの文化を笑いのネタにし始めたということの方が重要かもしれない。笑いのネタにするということは、自身の文化に対して客観的な視点を持てるようになったということだろう。

 監督・脚本はアヌラーグ・メヘター、主演はアーローク・メヘター。実はこの2人は兄弟だ。スリールを演じたアーローク・メヘターの経歴を見てみると、ニュージャージー州生まれのインド人で、7歳のときにインドを旅行してインドにはまってしまい(インド人がインドにはまるというのも変な話だが)、ハルモニウム、キーボード、ヴォーカル、スィタール、ギターなどをマスターしながら音楽を勉強し続け、現在では演技も勉強している人だそうだ。つまり、けっこうスリールとキャラクターが重なっている。実際、映画中の曲のいくつかは彼が自ら作ったみたいだ。歌も当然本人が歌っているし、演奏も本物だろう。

 アーロークの音楽の才能は認めるが、演技力の方は首を傾げてしまう部分があった。感情があまり表情に出ておらず、淡々とし過ぎといか、クールにかっこつけ過ぎだった。アーロークとキャラがかぶっていたとは言え、アーローク自身の自叙伝ではないので、気取る必要はない。映画の主人公というものは、かっこ悪いところを有りのままに見せてこそ、かっこいい部分が生きてくるものだ。アーロークはとりあえず純粋にミュージシャンを目指した方がいい。